総本部雑感記(其の弐)
合気錬体会総本部
第二代総師範 有満庄司
aiki-rentai@777.nifty.jp
皆様の御意見・御感想をお待ちしております。
いいことでも悪いことでも遠慮なく御寄せ下さい。
平成25年07月04日(木)
公私共に多忙でホームページもなかなか更新できずにいます。
パソコンは苦手でいまだにキーボードを指一本で叩いているものですから、時間がかかってしまい困っています。
それで講習会参加者からいただいた講習会の感想を掲載許可をもらい紹介しようとしていたのですが、やはり時間がとれずすっかり遅くなってしまいました。
まず講習会に初参加されたKさんからの感想です。
講習会直後にいただいたメールとその数日後にいただいたメールから抜粋いたしました。
有満先生御侍史 先ほど○○の自宅に到着しました。 先生、今日は貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。 道場生は皆それぞれ何かされていて有満先生もタントウ・推手を稽古に加えられていて古い型にとらわれない所が印象的でした。 本に読んだ佐川先生が言う「他の武道もどんどん研究しなさい」を実践されているんだと感じました。 いつもは練習の後は力こぶの上腕二頭筋と肩と前腕が筋肉痛になるのですが今日は肩甲骨の下側中心の背中が筋肉痛であります。 多少は伸筋が使えているからでしょうか? 今日、一番印象に残ったことは先生の上げ手を体験させていただいたことです。百聞は一見にしかずで体験できて本当に良かったです。 ・・・以下省略 |
有満先生御侍史 ○○です。先日は講習会に参加させて頂きありがとうございました。本でしか知らなかった合気の世界が実際に存在するのか正直疑っている自分があったのですが、有満先生に技をかけて頂いて100%信じることができました。ありがとうございます。 さっそく先生に教えて頂いた『合気道極意の秘密』手に入れてを読み、改めて錬体会HPの有満先生のブログを熟読しました。 『合気道極意の秘密』は凄いですね!!吉丸先生は凄いです!!!合気があいまいな認識であったのを定義し学習法まで記載してあり感動しました。これだけの功績を残すために想像を絶する考察・苦労があったと容易に想像できます。お会いしたことはありませんが吉丸先生の大ファンになりました。機会があればサインを頂きたいです。 あと錬体会HPの有満先生のコメントで自分が一番参考になったのは『弛緩力=筋肉制御運動』『筋肉制御運動は屈筋は可能な限り弛緩しなければならない、同時に主となって働く伸筋も絶対に緊張させてはならない』『力感を感じてはならない』のところでした。 ・・・以下省略 |
Kさんは謙虚で研究熱心な好感度の高い方でした。
講習会後にKさんの背中が筋肉痛になったのは、伸筋制御運動を連動させる稽古が上手くいったからです。
この感じを忘れないように稽古を続ければ体が変わってきます。
体が変われば武術に必要な力の使い方が変わってきます。
更には武術への取り組み方も変化してくるのです。
次に講習会に継続参加されているHさんからの感想です。
Hさんは当会でも抜群に感性が良く、講習内容を詳細に分析していますので、他の方の参考になると思いました。
実際、会員にとって「先」や「間合い」について考える良いヒントとなると思います。
有満先生 本日はありがとうごとうございました。 お茶会の際にお話、体験させて頂きました「先」「間合い」に関しまして、あの後考えてみたところを、次回稽古までまた少し期間もありますので、忘れない為のメモの意味も含めましてメールさせて頂きました。 先生に「構えてみて」と言われ、構えた後に、攻撃に入ろうと思った頃には、もう不利な状態にあった一連に関してですが、 まず、先生に「構えてみて」と言われ、私が構えましたが、この時点で先生はほとんど腕も上げていないくらいの動きしかしておりませんでした。 普通に考えると、先に攻撃出来る態勢を作った私の方が有利な筈です。 私は構えていて、先生はほとんど動いていないので、周りから見てる人にとっても、そう見える筈です。 しかし、そこから「攻撃してみて」と言われ、動こうとするものの、動きが封じられているのに気づくといった次第でした。 簡単に整理すると、 1)<先生>「構えて下さい」(動き無し) <私>構える(攻撃態勢) 2)<先生>「攻撃してみてください」 3)<私>もう腕が封じられるのが分かり、動けない 常識的に考えると、先に攻撃出来る準備(体制)を整えてる私の方が有利な筈なのですが。。。 ここから先は、私が感じ予想した部分なので、あまり適切な表現ではないかも知れませんが、お許し下さい。 恐らく、先生が私に「構えてみて下さい」と言った時には、私(周り)が気づかない範囲の所で、すでに先生が自分な有利な体勢に入っていたということですよね。 つまり、一見すると、上記の1)〜3)のように見えますが、実際は、 0)先生が先にに有利なポジションを取る 1)<先生>「構えて下さい」(動き無し) <私>構える(攻撃態勢) 2)<先生>「攻撃してみてください」 3)<私>もう腕が封じられるのが分かり、動けない 私や周りには1)からスタートしてる感覚ですが、既に先生による、私や周りにも気づかれなレベルでの0)が存在するということです。 そして、この0)が、「先」や「間合い」ということなのかなと思いました。 言葉にすると簡単に思えますが、勿論、私にはまだ出来る動きではありませんし、本日体験させて頂いた事を、自分なりにまとめますとそういったことであったのかな、と思いました。 ということは、普段の型稽古の際もこの辺のことを考えながら位置取りすることを心がけると、また、結果が変わって来る気がしまして、良い経験をさせて頂いたと思いました。 以上、つらつらと長文になりましてすみません。 引き続き、宜しくお願い申し上げます。 ○○ |
すみません。 肝心な事を書き忘れてましたが、先ほどの内容だと一連の動きを自分なりに解釈しただけでしたが、何が言いたかったかというと、先に構えた方が有利という錯覚が働いてしまっていたのでは? ということです。 常識的(一般的)に考えると、どうしても、先に攻撃態勢を取った方が有利に見えるけれど、その常識が間違ってる(錯覚)なのではとということです。 錯覚と書くとトリック的で妥当な表現ではないかも知れませんが、その常識を逆手に取り、まわりから見れば、私が有利に見えても、実際はまわりや私からは見えない微差で、先生が有利な状態を作っていたのではと。 つまり、日常で当たり前に思っている事や自然に動いてるしまってる動きに盲点があるのではと思いました。 ・・・以下省略 ○○ |
Hさんからの感想のほぼ全文を掲載させていただきました。
というのは途中をカットしてしまうと、折角の文章がわかりにくいものになってしまうからです。
この時に実際の現場にいた人達にとっては、状況を思い出すいい切っ掛けになると思います。
それにHさんとはまた違う視点で見ていた人もいたと思いますので、その人にとって更なる貴重なヒントとなるでしょうね。
平成25年03月19日(火)
先日の講習会(3/3)のテーマは筋肉制御運動(弛緩力、呼吸力)でした。
筋肉制御運動(弛緩力、呼吸力)には、伸筋制御運動と屈筋制御運動があるのですが、今回は特に基本となる伸筋の制御運動を中心に稽古しました。
筋肉制御運動(弛緩力、呼吸力)は、伸筋・屈筋ともに絶対に力んではならないという法則があります。
伸筋を働かせる際はその拮抗筋である屈筋は可能な限り弛緩していなければならないのですが、同時に主となって働く伸筋も絶対に緊張させてはならないのです。どこまでもふんわり柔らかくしたまま自分のイメージ通りに伸筋をコントロールします。
一番大事なことは自分自身に力感があってはならないということです。これは難しいですよ。
力感というのは相手は多少ごまかすことができても、自分自身はごまかすことはできませんからね。
自分自身に嘘をつくことができないのと同じです。
大東流は相手と接触してからの技が多いですから、その接触点を通じて、相手に力感が伝わります。
力感が伝われば、その力感に対して相手は頑張ることができるのです。
でも、もし力感がなければ、相手は頑張り所を失って、思っている以上に抵抗ができず、技に掛かってしまうことになります。
ここが面白いところですね。
だから大東流は踏ん張らないし先端から動くのです。
柔らかくとらえどころのない、体に支点を作らない動きというのは、先端から動くことによってできるのです。
あと大東流は相手が当然武器を持っているという前提があるからです。
つまり踏ん張ったり体幹から動くようにすると、少しの遅れで相手に一番近い手足が切られてしまう可能性が高まるからです。
格闘技などは、自分も相手も素手で更にルールや審判によって安全が守られていますので、体幹から動いても、その遅れは致命傷にはなりませんしタックルして反撃されても致命傷にはなりませんが、相手が刃物を持っていればヒュンと振った瞬間に指くらいは簡単に飛びますし、急所を刺されたら終わりですからね。
だから武術と格闘技との体の使い方が違うのは当然なのです。
それに武術は、体術の動きが武器術に応用できなければ嘘です。
体術の動きと、剣術の動き、棒術の動きなどが皆違うとしたら、実用にはなり難いでしょう。
実際、私は剣術の基礎を吉丸先生に習っただけで剣道はやったことありませんが、剣道高段者の方とも竹刀稽古させてもらっても、そこそこやれています。
その体術の大本の動きになるのが、筋肉制御運動(弛緩力、呼吸力)です。
以下は、先日の講習会に初参加された方から感想をいただいたものですが、筋肉制御運動(弛緩力、呼吸力)の感覚をよく表わしています。
合気練体会の稽古とその後のお茶会は私にとってはかなり楽しいものでした。 特に先生に技を掛けられ、崩しから決めまでのふわふわした感覚は今まで味わったことがなく、帰りの電車の中でその感覚を思い返すたびにニヤニヤしてしまうほど気持ちがいいものでありました。 |
この感想の「ふわふわした感覚」というのが、力感のない筋肉制御運動(弛緩力、呼吸力)の感覚なんです。
平成25年02月25日(月)
昨日の講習会のテーマは崩しでしたので、筋肉制御運動(弛緩力、呼吸力)を使って相手を崩すということを繰り返し稽古しました。
一元では返す合気というのがあるのですが、相手の加えてくる力を筋肉制御運動を使って相手に返し、それによって相手を崩してしまうのです。
つまり力を入れた相手は自分の力で自分が崩れてしまうことになるわけです。
人というのは面白いもので、自分の想定外の崩され方をすると、ちょっと崩されてもバランスを失って自分のもてる力の5分の1も出すことができなくなってしまうのです。
だいたい大東流では相手を崩してから技を施すようにできているのですが、佐川派ではそれが顕著で相手に分からぬようにちょっと崩して相手の持てる力を発揮させないようにして技を掛けます。
よく技の解説で、「前より合気をかけ、相手の腕を・・・」等と表現されるのはこのことですね。
返す合気の後は引く合気を稽古しました。
さらに返す合気や引く合気と比べると少し難しいのですが、巻く合気も稽古させてみました。これは実用性が高いのでぜひ修得してもらいたかったのです。
私にとっては簡単で面白い技法なのですが、やらせてみるとやはり力が入りすぎて動きに角ができてしまうようです。
他にも「先」の技術を学ぶ為の基礎稽古をやりました。
「先」の技術はやはり「後の先」がベースになっています。「後の先」が正しくできないのに「先の先」の技術などできるはずがありません。
「後の先」の技術も本当は難しいのです。相手の攻撃のかわすとか捌いてからこちらの攻撃を加えるとかが「後の先」だとかいう認識では、たぶん一生掛かっても「先の先」の技術は修得できないでしょうね。
なにしろ実際に長い日本の武術史においても「先の先」を修得した人は少ないのですから。
佐川先生ももちろん「先の先」の技術を修得しておられました。
それを「合気之先位」と呼んでおられたようです。
しかし佐川先生の凄い所は、さらに上を行くところですね。もし自分と同じ「先」の技術をもった人間と戦うことになったらどうするか、ということを考えていたことです。
特に上級者の剣術の戦いは、先の取り合いです。
もし相手が先を使えなければ、相手は分からずともこちらは分かりますから、剣を交えて相手の力量を測ってからでも十分勝てます。
相手を追い込んで、苦し紛れに出ようとするところをうてばよいのですから。
もし相手が先の使い手であれば、お互い向かい合う前から分かりますから、当然、向かい合った時が重要になります。
しかし、お互い、先を使うもの同士では、うかつに動けませんからこう着状態に陥りやすいのです。
ではどうすればよいのかという課題ができます。唯一、勝機があるのは向かい合った瞬間です。
ですから「合気之制位」においては向かい合った瞬間が重要なのです。
先週の講習会では、多数捕りをテーマにして、基本である2人捕りを稽古しました。
最初は皆もたもたしていたのですが、段々、要領が分かってくると上手く相手を重ねて動けないように極めていました。
途中、合気固めのヒントをうっかり洩らしてしまったりしてしまったのですが、気がついたでしょうかね。
しっかり覚えている人やノートを取っている人はラッキーでした。(笑)
平成24年11月11日(日)
今日の講習会で、終了後に参加者から「ボクシングなどのように連打する格闘技に大東流はどのように対処するのですか?」という質問がありましたので、口で説明するよりも実際にやった方が理解しやすいだろうと思い、ボクシングの間合いで対峙し、好きに打ってこさせました。
そして相手の方が殴りかかろうとした瞬間に、私がフワッと右手で相手の左頬を撫でるようにすると、ものすごく驚いたようでした。
私が右手を出した時に起こりがなく、しかも全く避けることができないのが判ったようです。
これは佐川派大東流の「合気之先位」の技術の一つですね。
このタイミングで相手の死角に立てば、相手は連打することはできないわけです。
もし相手がこういう技術があると知らなければ、相当驚くと思います。
こういった先の技術は、日本武術の極意の一つです。
特に剣術の世界では、先の取り合いは当たり前ですからね。
佐川派大東流には、更に「合気之制位」という更にもう一つ上の技術と境地があります。
これは、もし自分と同じ先の技術の使い手と対峙した場合にどうやって相手の力を封じて勝つか?ということを追求した技術です。
佐川先生口伝 1967.6.26 「敵の態勢、構えに応じてサッとある動きをし(態勢をとり)敵に力を出させずに勝つ。 これは師伝にもなかったことであるが、もっとも考究しなければならないことであると思う。 私は合気之制位と名付けている。 先ず向かい合った時が最も重要であるので、ここを研究しなければならない。」 |
平成24年10月01日(月)
昨日の講習会では、基本の錬体法の後に、手を合わせた状態から「腕抑え」「腕抑え裏」「内腕落し」「引き込み腕抑え」「入身落し」「木葉落し」といった多彩な技に自由に変化して制圧する稽古をしました。
決まった型稽古だけでは、よほどの才能が無ければ、自由に動く相手に対して反応が遅れることになるので、相手の動きに合わせてこちらも出方を変化させる必要があるからです。
まず術理に則った型稽古において姿勢と正しい動きを養成し、それに伴う身体感覚を目覚めさせ、技に力に頼らない威力(功夫)を持たせることです。
そうなれば、型が腕力や体力差を凌駕することができます。
型が腕力や体力差を凌駕することができるまでは、力まず正しい型稽古を積む必要があるのです。
だから型稽古中に技が効かないからといって、突いたり蹴ったり関節を捻ったりということは邪道であり、自ら上達を放棄していることになるのです。
術理に則った型稽古において威力(功夫)が出始めてはじめて、そこから変化を学ぶのです。
変化を学べば、自由に動く相手にも型稽古同様に技を効かせることができます。
それに基礎の錬体法において、体を練り上げる事(鍛錬)は大事です。
一人稽古において、十分、鍛錬を積んでください。(しかし、絶対に力んではいけません。)
なぜなら数稽古において体に錬体法を染み込ませなければ、組手や乱取りにおいてさえも普段の稽古の時のような動きを再現することは不可能だからです。
人間は力む生き物ですからね。無意識に力まず正しい動きが出来るまで十分な訓練(鍛錬)を積む必要があるのです。
私の組手稽古を見たことのある人は、私が稽古通りに捌いているのが分かったと思います。
考えなくても自然と稽古の時の動きができる。言うのは簡単ですが、実際にできる人は数少ないと思います。
実戦で、カーッとなって、殴り合い、つかみ合いの素人に毛が生えた程度では恥ずかしいですからね。(笑)
「稽古は実戦のように、実戦は稽古のように」
平成24年9月20日(木)
先日、17日(月)に連休ということもありまして、静岡の吉丸先生宅へお邪魔しました。
最近は時間がなかなか取れませんので、直接お会いできる機会が減って週2〜3回の電話連絡だけでしたので、久々に先生の顔を見たいということもありました。
お顔を拝見すると血色もよく、言葉も以前ほどひっかることも減って、日常生活には困ることもなさそうです。
妹さんが生活管理されていますので、健康状態も悪くないようです。
先生ご本人は「足腰が弱って困る」と言われていましたが、一緒に並んで歩くとこちらが心配するほどスタスタと歩かれて「速過ぎませんか?」と心配しました。
武術談義の後に指導をお願いしましたら、手を合わせてから腕抑えに入るその掴みの強いこと。
軽く掴まれるだけで崩されてしまいます。(さすがですね)
それに程よく力が抜けていますので、重心が下がってズッシリとした重さが伝わってきます。
こういったことが長年の鍛錬の賜物なんですね。
中国武術では功夫と言うようです。
帰りは熱海で花火大会があるということで、寄って遊覧船を申込み、海上から花火見物しました。
以下はその時に撮った写真です。
平成24年9月3日(月)
間合いについて
大東流の戦いは間合いを重視します。
それは、当然、相手からは遠く、自分から近いということが理想になります。
これも身体感覚が重要であり、大東流の場合、筋力とか運動神経とかよりも身体の皮膚感覚とか内部感覚といったものの方が大事ですね。
あとは物事の考え方とか。
大東流の場合、敵は当然何かしらの武器を持っているというのが前提ですから、安易に相手の攻撃を受け止める等といった方法だと危険なのです。
それで武術の戦いにおいては常に自分を安全圏におく必要があるわけです。
それが捌きであり間合いの方法なんです。
そして間合いの感覚は武術の型稽古でしか身につきません。
「いや、そんなことはない、スポーツや格闘技にも間合いはある」と考える方もおられると思いますが、武術の間合いの感覚から言うと、それは相手との距離感に近い感覚だと思います。
それはスポーツや格闘技の場合、どうしてもポイント制なので積極的に自分からも攻める必要があり、ルール上それが当たり前であり、選手も疑問に思いません。それに多少相手の攻撃を受けても勝つために攻めに出る必要もあります。
武術の場合、不利だと思えば、無理に自分から攻めることはしません。
相手が焦れるまで待って待ってということも当然あります。
たしか、海外での話、昔の侍映画か何かで、クライマックスで二人の侍が対峙したまま動かない、映写機の故障だと思った観客が騒ぎ出した頃、一瞬で勝負が決してしまって、そのシーンを見逃してしまった観客が多数出たとか。
昨日の講習会に初参加の方から、「もしフェイントやフットワークで攻められたら、大東流はどう対処するのですか?」という質問がありましたので、百の理論より実技で見せた方が早いと思い、自由にやらせて対処しました。
大事なのは、間合いと捌きです。
武術では、特に大東流では、言葉で説明しても説明しきれないことは体で示して見せるということが、大事なのです。
それが体之合気を得たという証明でもあります。
会員に薦められて映画「るろうに剣心」を見に行きました。
原作の漫画の方はよく知らないのですが、映画はなかなかの力作です。
殺陣やアクションのシーンですが、おそらく監督かアクション指導の方にこだわりがあり、勿論映画ならでは演出もあるのですが、その戦い方が武器術と体術が渾然一体となっており、相当研究されたのではないでしょうか、感心させられます。
たかが漫画の実写版だと思わず、見に行かれたらどうでしょうか、お薦めします。
平成24年3月25日(日)
手之内について
大東流は手を重視します。
特に指の操作を重視した手之内は大東流独特といって良いでしょう。
もちろん故佐川幸義先生も指を器用に動かすことができなければならないと言っています。
大東流の実質創始者である武田惣角先生が何故手之内の操作に気付いたかというと、やはり剣術からでしょうね。
武田惣角先生は剣術の術理を柔術に持ち込んで融合させています。本当に素晴しいです。
剣の達人であった武田先生らしい発想ですね。
普通は、剣は剣、柔術は柔術で術理が違ってしまい、チグハグしたところが出るものですが、少なくとも錬体会に伝わる技法はそんなところがありません。
だから体術そのままで色々な技法に応用が効くようになっています。
平成24年3月11日(日)
小手之合気について
肘から先を弛緩力(筋肉制御運動)によりコントロールすることを小手之合気と言います。
一番の基本は手をパッと開くことです。
この時、指先の一本一本までが活きている事が大事なのですが、これがなかなか出来る人がいません。
たいていは力み過ぎから硬くなってしまっています。もしそうでなければ指先が腑抜けて死んでいます。
気持ちが指先の一本一本まで通っていなければいけないのですが、そうでない為に上手くいかないのです。
まず小手之合気を学ぶには、座り技が最適です。
座り技というのは、脚を自由に動かすことができないがゆえに、足捌きで技をごまかすことができません。
であるがゆえに正確な手捌きと小手使いを行わなければ、技が効かないのです。
また逆をいえば、足に気を使う必要が無いがゆえに、手の操作に集中することができるということです。
第一に弛緩力(筋肉制御運動)により(特に合気上げで)、小手の集力を学びます。
第二に弛緩力(筋肉制御運動)により(特に合気下げで)、小手の重さのコントロールを学びます。
第三に弛緩力(筋肉制御運動)により、○○○の方法で相手の手をくっつけることを学びます。
今日の講習会では、この三番目の相手の手をくっつけることをやったのですが、皆さん苦労したようです。
小手の部分の感覚で相手の手のくっつき具合を感じ取りながらの練習ですから、受信と発信を同時に行う必要があるので難しいのです。
また実用では一瞬でくっつけることができないといけませんから、より難しくなります。
講習では、やって見せて要領を教えて、それからやってもらったのですが、感覚というのは一人一人違いますし、また相手の掴み方も違いますから、これが正解という方程式の無い「感覚の技術」になります。
ここからが、より精緻な技術の修得になっていくのです。
当然、上達度は個人一人一人が違ってきます。
最初は身体感覚の優れた人がグングン伸びますが、不思議なもので、皆ある一定レベルで壁にぶち当たります。
そしてここでもがいているうちに、遅れていた人間が追いついてくるでしょう。
更に言えば、この壁を最初に破るのは、愚直なまでに基本を繰り返していた人間だと思います。
迷ったら基本に帰れ、は真実です。
平成24年2月17日(金)
武術における脱力について
「脱力」と「力まないこと」との違いについて述べてみたいと思います。このケースでの「脱力」とは「腑抜け脱力」のことです。
どちらも力を抜くということでは共通していますが、似ているようで根本的なところで違っています。
柔(やわら)武術では、力を抜くことを根幹におくのですが、「脱力」を強調する余りふにゃふにゃの腑抜け状態を良しとするところもあります。
でもこれでは相手が反撃をしない型稽古では多少なりとの効果はあっても相手が絶えず動き反撃もしてくる状況では役に立ちません。
それは芯が無いからです。
武術は技を磨くと共に体を錬っていく必要があるのですが、芯の無い「腑抜け脱力」では鍛えられる部分が無いからです。
昔から「力を抜くのだが単に力を抜くのではない」とか言われるのは、ピアノ線のような芯を一本残して力を抜く必要があるからです。
体幹で言えば正中線です。
錬体法で力を極限まで抜いて骨格だけで立つ訓練を続けていると、段々姿勢を保つために正中線に力が纏ってきて正中線を体感し正中線で立つことができるようになります。
これで最低限の合気之錬体の基礎ができたことになります。
この正中線を保ったまま鍛錬することで、正中線が強化されるのです。
しかし体幹をグニャグニャさせていたのでは、正中線は体感されないし、ましてや強化されることは無いわけです。
また小手之合気において、パッと手を花手型に開いても指先への集中がなくグニャグニャさせていては指先が活きてこない為に指先への細い力の流れというものが生じてこない訳です。
これでは大東流的には無意味です。
小手之合気というのは、無駄な力みを捨ててパッと開いた手にピアノ線のような細い力の流れが生じるから小手が活きてくるし、それだけで武器を持ったような効果があるわけです。
これを「合気充満の腕」と称します。
佐川先生も「合気充満の腕にて敵の関節をうてばその関節を打ち折る事自由なり顔面其の他をうてば勿論骨折する」と述べています。
ですから体幹はもちろん腕も脚も極限まで無駄な力を抜きつつ、一本のピアノ線のような芯を形成し強化していく必要があります。
だから力まず無駄な力を抜きつつ体を鍛錬する必要があるのです。もし「腑抜け脱力」でよければ、特別な鍛錬は必要ないことになります。
以上、脱力についてでした。
次に、何故、大東流は手を重要視するのかについてです。
大東流は敵が刀もしくは短刀または武器を持っていることが前提に考えられていますから、手が器用に素早く、しかも強く動くことが必要であり大事なんです。またそうなるから相手の武器を持った手を素早く抑えることができるわけです。
武田先生の大東流は表芸が剣術であり裏芸が柔術でした。
ですから敵を殺すつもりであれば、パッと剣を抜いて斬ってしまう。
しかし自分が丸腰である場合、または敵を殺さず取り押さえる場合に柔術で対抗するわけです。
その時、敵は武器を持っていますから、その手をパッと素早く抑えてしまう必要があったわけです。そうでなければ、ちょっとした油断で殺されるか大怪我してしまうことになります。
ですから大東流や合気道は手先導によって動くことになっているのです。
大東流の体使いが手を重要視し、格闘技などの体使いとは違うのは、以上の理由からです。
平成24年1月22日(日)
大東流の面白さを広く知ってもらう為、「You Tube」に柔道式の乱取り動画をアップロードいたしました。
『合気道の奥義』 大東流乱取り 合気錬体会39
http://www.youtube.com/watch?v=GMHC5elWX_8
故佐川幸義先生は「合気之錬体となれば、柔道家と柔道で勝負しても勝てる」と言われていましたが、それは天才である佐川先生だからこそであって、凡人の私ではせいぜい乱取り稽古でソコソコやれる程度です。
だいたい学生時代に週1回の体育の授業で柔道をやった程度では、底が知れています。
ただ私の相手をしてくれたKさんの名誉のために言わせて貰えば、本当に強かったです。
柔道2段までは比較的貰っている人が多いのですが、3段以上は本格的にやり、かつ強くないと貰えません。
実際、めったに力むことの無い私が、Kさんの強さに反応して、腕に力みが見られます。
体の力みを捨て統一体を作って正中線を守ると、体の重みが足元に落ちるため、相手は実際の体重よりも重く感じるのです。
それに統一体によって体の強さが増してますから、Kさんにしてみれば普通ならちょっと足を払ったり膝を引っ掛けて転がしたりが出来るはずが、上手くいかず、勝手が違ってしまってやり辛かったと思います。
柔道の技についていえば、襟と袖を掴んで屈筋を使うことが多いので、伸筋を使うことの多い大東流の技と比べるとやり辛いですね。
まあ、裏弛緩力である屈筋制御運動に少し慣れてきた頃でもあったので、うまく対応できたのだと思います。
本来は大東流というのは何でも有りですから、素手の場合、当身から関節の逆をとって制圧するのが基本です。
ですから逆手の無い乱取りというのは限定的な練習になります。しかし自分がどのくらいやれるのかという目安にはなりますね。
私は、真之合気が体に備わっているためか、一度体験すると経験値が飛躍的に上がりますから、乱取りや組手を時々はやりたいですね。