吉丸慶雪「合気之術の科学」解説
合気錬体会
初代総師範 吉丸 慶雪
合気には、勝負の合気と力抜きの合気がある。 勝負の合気が分からないと、力抜きの合気は 実戦的には役に立たない。 「勝負の合気」こそ武田惣角先生の秘密であった。 なお『合気道 最後の秘密』は本書の一部に過ぎないため、 『合気之術の科学』を発売すると同時に絶版とすることにした。 |
『合気之術の科学』副教材追加(DVD3−20分)の眼目は、合気之術による戦い方を理解できることです。とくに弱者の護身術として、佐川先生の合気の制位を公開します。副教材は、追加(DVD3)から見てください。 【DVD1】 『合気之術の科学』副教材1 改正音声入れ 第1章 大東流 力抜きの秘法 力抜きの原理 佐藤金兵衛先生伝、実用上げ手 第2章 先行の「合気之術」 佐川幸義先生伝、合気の制位 宮本武蔵「枕を抑えること」 第3章 山本派 武田惣角先生の「返し手」 佐藤金兵衛先生伝 第4章 武田惣角先生と合気之術 惣角の技は「先」である。 第5章 合気之錬体 大東流も太極拳も体の原理は全て同じである。 (1) 太極刀 李徳芳老師 (2) 孫式太極拳 李徳印老師 馮志強老師追悼動画 陳式心意混元太極拳 1991年11月 全国太極拳交流大会 【DVD2】 『合気之術の科学』副教材2 改正音声入れ (1)「合気を掛ける」とはなにか これは「機先で出ること」 1.大東流柔術一ヶ条 揚げ手基礎訓練 2.力抜きの原理 気を合わせ、合気を外すこと 3.合気を掛けた「揚げ手」 4.合気を掛ける(2)袖捕り 相手が出れば自分も出る 5.合気を掛ける(3)胸捕り 遅れて発し、先んじて至る技 6.合気を掛ける(4)拳法 相手が出れば自分も出る 7.合気を掛ける(5)枕を抑えること 宮本武蔵『五輪書』 (2)合気武術の入戦原理 「付け」 くっ付けて離さないこと 1.拳法基本形 拳法による「付け」 相手の攻撃を迎え入れる稽古 2.付ける稽古 3.付ける稽古(2) 4.合気之錬体 体之原理は全て同じ。勁力を使う体である。 (1) 孫式太極拳 立石朝士師範 (2) 双 剣 黄白雲老師 馮志強老師追悼動画 (1) 陳式太極拳推手 1997年11月 全国太極拳交流大会 (2) 陳式心意混元太極拳 1999年11月 全国太極拳交流大会 【DVD3】 『合気之術の科学』副教材追加(20分)音声入れ 1.カウンターアタックと合気之術 2.武田惣角先生の剣技
3.究極の護身術 合気機先拳序論 合気之術の戦い方 佐川幸義先生の「合気の制位」と「体之合気」 ★「合気之術の科学副教材DVD1・2・3」の販売は終了いたしました。 |
『合気之術の科学』解説第11回 25年2月11日 吉丸慶雪 1.合気の定義 合気の定義が分からないと合気は体得できません。『合気之術の科学』解説第7回で「合気の定義」を書きましたが、これを整理してみます。 武田惣角先生は大東流柔術は教えるが合気柔術は教えないと言っていましたが、合気の定義がないので、教えることは出来なかったと思います。 合気の体得した人は結構います。定義が分からなくても合気はできます。佐川先生も技が分かってから理が着いてくるといっていました。ただ定義が分からないときは教えることができません。だから達人名人について、その感覚を習うしかありません。しかしそうした環境がない人が多いと思いますから、まず合気の定義が必要です。 @合気とは 1.気が合うこと、つまり合気の状態である。 2.積極的に気を合わせることも合気の状態である。 A合気を掛けることとは 合気を掛けるという言葉は成立しないが、合気之術を掛けると成立する。たとえば催眠術を掛けるとは成立する。したがって合気を掛けるとは、合気之術を掛けるの省略語である。 合気之術を掛けることは「機先で出ること」である。 機先で出るとは、遅れて発し、先じて至る技である。 漢代に剣の必勝法として確立され(説剣編)、戦争でも必勝法となった。 荘子 説剣編 後之以発 先之以至 孫子 迂直の計 後人発 先人至 現在でも「後之以発 先之以至」の原理は、軍事でもサッカーでも格闘技でもカウンターアタックとして認識されている。 この原理が日本武術では合気之術となったと私は考えている。 宮本武蔵の五輪書「枕をおさゆると云事」とは、つまり遅れて発し、先じて至る技である。しゅうこうの身と云う事は、いかに相手にくっつけるかを書いている。しつかうのみの身も同じで、相手にいかにくっつけるかを書いている。 「少しも身にあいのなく様に付けるものなり」とは、これが体之合気になるのである。 B力抜きの方法 力抜きは合気の理による。 合気の理 自分の力を抜くと相手の力が無くなる C小手之合気 小手之合気は、手首を掴んでもらい、自分の力を抜き相手の力が無くなった瞬間上・横あるいは後に小手の位置を変え、相手の体を崩す稽古である。しかし目的は体之合気の体得である。 D体之合気 体之合気は、自分の体と相手の体が一体化にする技法である。理論は気を合わせて(合気)合気を外すことであり、これは小手之合気も同じである。つまり小手之合気の訓練により体之合気は体得出来るのである。 2.カウンターアタックも合気之術 軍事もサッカーも格闘技も、合気之術があります。
「日本語では逆襲または反撃」」 「特に、敵が攻撃に出るところを防ぎ、即座に攻撃に転じる事」 つまり「逆襲または反撃」「即座に攻撃に転じる事」が「遅れて発し、先んじて至る」ことです。 この「遅れて発し、先んじて至る」のが合気之術なのです。 この場合は「後の先」になります。
相手が攻撃をした瞬間に、自分は遅く発して先んじて至るつまり「出す」のです。つまり相手の攻撃に対して直ぐに逆襲する、迎撃する、相手が出れば自分も出る、これがカウンターアタックであり合気之術であるということです。 たとえば岡本正剛先生の動画で、先生の「上げ手」を見てください。相手が掴んだ瞬間に岡本先生の手は「相手がでれば自分も出る」になっています。これが「合気を掛ける」なのです。
日本剣道の「懸待一致」の教えですが、これをカウンターアタックであり合気之術なのです。 【懸待一致】 「懸かる中に待ちあり、待つ中に掛りあり。懸待一致して遂に懸りもなく待ちもなき境に至らんことを努むべし。これ懸中待、待中懸の教えなり。茲にいたらざれば敵に応じて変化し勝を得るの至妙に達すること能わず」「日本剣道教範」 高野佐三郎 つまり「待中懸」は「遅れて発し、先んじて至る」技なのです。 佐川先生は「出る勘は天性のものではないか」と言っていました。「出る勘」とは「先」の感覚です。私は、誰にでも型稽古により「先」の感覚を体得できるではないかと考え、1982年に「秘伝 双気道」を書きました。当時大崎体育館の柔道場を借りて拳法の研究していましたが、柔道場を二つに分け、岡本正剛先生のグループと一緒に稽古していました。だから3年くらい岡本先生の技を見ることができました。岡本先生は、「3年で合気を全て教えます」というので、私は「技を盗む者が出るではないでしょうか」と言ったら、「去る者は追わず、来る者は拒まず、誰でも合気を教えても良いのです」と言ってしました。そのため私は、岡本先生を尊敬しています。 大崎体育館で稽古していたとき、極意道場の弟子が「私の先生が会いたい」と言って来て、「吉丸先生の知って居る人です」と言ったのです。弟子と一緒に新宿の道場に行くと、これが鳥居隆篤先生でした。昭和35年ころ私は剛柔流泉武館本部の師範代でしたが、先輩の市川素水先生の市川空手道場(上野)によく遊びに言っていました。素水先生は武闘派で、実戦には「先」が必要であると言い、そのため「交手道」を創始していました。後から考えると、この空手道の「先」も合気之術であったのです。空手道の「空手に先手なし」は有名ですが、つまり空手道は「先である」と言っているのです。「空手は先に攻撃をしない護身的な武術である」というのは誤解で、先に攻撃すると勝負は分かりません。従って相手の攻撃を待っていて相手が攻撃を発した瞬間に相手を倒すことができます。つまり「空手に先手なし」は空手道の必勝法なのです。 孫子の「迂直の計」後人発、先人至 荘子の「説剣編」 後之以発、先之以至 太極拳 彼不動 我不動 彼微動 我先動 音無し勝負 相手が出れば自分も出る 3.抜刀術も合気之術
この「刀を抜かずして勝つ」とは、「百錬不屈の心魂をもって敵を威圧できること」というのは、誤読です。だから実戦性を疑問視される事が多い、ということになってしますのです。しかし「鞘の中の勝」は極めた実戦技なのです。 つまり「鞘の中の勝」とは、遅れて発し、先じて至る技なのです。 「先」を科学的に証明したのが英研究チームの実験です。
つまり相手が切ろうとするとき、抜刀するようが0.02秒速い、のです。 後人発、先人至(遅れて発し、先んじて至る) これが「鞘の内」なのです。 私は無念無想で、つまり相手が切ろうとするとき条件反射して切ると、多分0.02秒よりもっと速いと考えています。 孫子曰く、「百戦百勝、善の善なるものに非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」と是れ殆ど合気の術なり。『武道秘訣、合気之術』より。 合気之術は、戦わずして敵の気を制す術であると言い、これは「先」であると言っているのです。つまり抜刀術は「百錬不屈の心魂をもって自然に敵を威圧すること」ではなく、相手が切ってきた瞬間に(後に発し、先しで)自分が切る、あるいは相手が切りたいという意識を感じて、これを条件反射的に切る技術なのです。だから抜刀術もその奥義は合気之術なのです。
佐川先生の「出る勘は天性のものらしく、これが無い人は真剣勝負は難しい」という言葉から、では如何に誰でも「出る勘」を養成する方法がないかと問題意識を持ったのです。つまり真剣勝負ではなくても、護身術でも「出る勘」が無いと、実用にはならないのです。 ということで、私の研究は、「合気の達人」になる方法ではなく、弱者が「出る勘」を会得して実用的な護身術を作りたいと研究したのです。 これが「双気道」であり、その発展形が「心技護身拳」であり、その完成形が「合気機先拳」ということです。ところが「出る勘」とは「先」であり、つまりこれは合気之術です。 この佐川先生の話を聞いたのは、高校生の井上正史君と私の二人でした。 武田惣角先生が「合気と剣は同じ」と言っていたが、つまり合気も剣も「先」であると言っていたのです。だから帝国剣道型の小太刀は、「先」を表現しているのです。 そして武田惣角先生は、剣道の奥義を会得していたために、合気でスッと出ることが分かった、つまりこれが合気之術であることが分かったのです。
そのように合気之術は「先」であるということを、昭和39年5月13日の夜に佐川先生が言われたのですが、あとは「合気の制位」という言葉もありました。 「敵の態勢、構えに応じでサッとある動きをし(態勢を取り)敵に力を出させずに勝つ。これは師伝にも無かったことであるが、もっとも考究しなければならないことであると思う。私は合気の制位と名付けている。先ず向かい合った時がもっとも重要であるので、ここを研究しなければならない。」1967.6.2 「敵が構えた瞬間に体を一歩替われば敵は何らなすことができない。」1968.10.5 「敵が相対した瞬間にある点に立つ。」1970.7.4 しかし、佐川先生の教え方は、ヒントをありますが説明は絶対にはしません。だから私もいろいろ工夫したのですが、結局判りませんでした。 昭和59年には「ロスの疑惑の銃弾」事件が起き、私は毎週『週刊文春』を買っていました。そのため昭和63年5月26日号を買っていましたが、これに佐川先生の記事があったのです。 写真「合気術稀代の名人佐川幸義先生の神技」 『合気道の科学』109頁上写真、再録『合気之術の科学』61頁上左写真> 下左の写真は「うねり」ですが、上の写真では技は分かりませんでした。私が分かったのは2年前の平成22年くらいのときです。つまり20年の間分かりませんでしたが、 「敵が相対した瞬間にある点に立つ。」これが「合気の制位」!でした。
体の力抜きは、映画を撮れば技は判るので、佐川先生は絶対に動画を撮っていません。写真では技は判りません。 しかし「合気の制位」と「体之合気」を『合気之術の科学』副教材追加により公開します。体之合気は、この動画を見れば直ぐに判ります。しかしこれは合気之錬体の問題であり、人によっては実用にはなりません。 結局、合気之錬体の問題になります。 |
『合気之術の科学』解説第10回 24.7.22 吉丸慶雪 1.大東流合気柔術の「力抜きの秘法」
武田流では、「神経遮断の技」と「タケルカタメ」が宗家継承の秘密であり、大東流では第三十五代宗範・武田惣角先生が 、死の床で高弟に手を取らして教えた技は、「力抜きの秘法」であったという。 現在、武田流合気術宗家は第二代佐藤柔心斎先生であり、「神経処断の技」と「タケルカタメ」とは日本兵法大和道本部に伝承されています。 立山一郎著『合気之術』では、武田惣角先生が大東流合気術第三十五代宗範と書いていますが、これは間違いで、宗家制度は武田惣角先生が亡くなった後のことです。「死の床」というのも間違いですが、「力抜きの秘法」を教えたという事実はあります。 佐川先生の話によれば以下のようです。
吉丸慶雪の解釈 力抜きの理論は 気を合わせ(合気)、合気を外すこと 1.上からのしかかる様につかむと、対抗する。つまり気を合わせる、つまり合気の状態となる。 2.自分の力を抜き、手先は完全に力を抜き、肘中心として手首を上げる。ここで小手は垂直になっている。 3.ここで小手の力を入れ、つまり気を合わせるつまり合気。 4.小手の力を抜く、手首は完全に力を抜く。つまり合気を外すこと。 (ただし脱力ではなく柔術弛緩力ですが、これが少し難しい。) 5.柔弛緩力で上に上げる。 6.「細かく各部分を崩す」については文章では説明が難しいので、動画により「合気之術の科学副教材」で公開します。 7.注意、肘をブラブラしてはいけない。 (つまり肘中心とした円滑力である。) 2.大東流合気柔術とは 大東流合気柔術とは、合気+大東流柔術です。まず大東流柔術と柔道との違いについて、体技では相手の体を崩して技をかけます。なぜなら関節技な投げ技をきめるには、よほどの力の差が必要です。そのため加納治五郎は、物理的に体の重心を奪って技をかける研究し、これを「八方の崩し」として理論化しました。 武田惣角の大東流柔術は、最初から物理的に体を崩すのでなく、相手の筋肉の力を抜き、これから物理的に崩すことにしました。 相手の筋肉の力を抜くには、「合気の理」を使います。 合気の理 互いに力を掛けている時、自分の力を抜くと、相手の力が無くなる。 つまり古柔術と大東流柔術との違いは、技法は同じですが、「崩しの技術」が違うことです。 従って大東流合気柔術は、合気+大東流柔術であり、合気(合気之術)は「先」ですから、つまり相手の攻撃に対して即座に攻撃に転じ(人に遅れて発して人に先んじて至る。)、これから大東流柔術の技法で対処することとなります。 3,合気之術の総括 (1)合気之術は武道の奥義である。 (2)孫子曰く、「百戦百勝、善の善なるものに非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」 これが合気之術である。(無骨居士、健斉居士) (3)合気之術の方法は、以下である。 @.我れ一歩先んじて先の先に掛ける。 A.敵の攻撃を外して後の先を取る。 B.我れ敵より一歩先んずる。 つまり日本剣道の「三つの先」と同じである。 (4)「先」の理論は、以下である。 @.孫子の兵法 軍争編 「迂直の計」 人に遅れて発して人に先んじて至る。(後人発、先人至) A.荘子 説剣編 第三十 後之以発、先之以至 (5)先の具体的な方法は、宮本武藏の五輪書にある「枕を抑える」こと。 敵が切ろうとした「き」の字で抑えること。 (6)先の具体的な方法は、武田惣角の「スッと出よ」である。 (7)合気柔術とは 合気之術+大東流柔術である。つまり「先」を使う柔術である。 そして大東流柔術の奥義は、「力抜き」による崩しである。 →→ 合気之術 → 先 ↑ 大東流合気柔術----- ↓ →→ 大東流柔術 → 奥義は力抜きによる崩し 4.新説 「合気を掛けること」とは 合気の世界では、今まで「力抜きの合気」を「合気」と考えていました。たとえば 佐川幸義先生でも、「自分の手足、体が相手に触れたとき、皮膚の内部の筋肉のはたらきで相手の力を抜く、これが合気なんだ」と言っています。つまり「力抜き」が「合気」であると言っているのです。『合気道の科学』108ページ しかし、「力抜き」が出来ても、実戦に役には立ちません。 たとえば「手首を掴め」と指定して、力を抜き投げることができます。たとえば「顔面を突け」と指定して、力を抜き倒すことができます。しかし、相手が自由に攻撃に対処するには、これは武才とか勘の問題であり、武才のない普通の人には実戦などはできません。 佐川先生の言葉にあるように「出る勘は天性のものらしく、これが無い人は真剣勝負は難しい。」 と言っていますが、護身術でもカンのない人は実用にはなりません。 しかし合気之術はこの問題を解決したのです。つまり武才でもカンもない人に対しても、技術により対処できるようになったのです。 佐川幸義先生の写真、『合気道の科学』109ページの写真を見て下さい。(週刊文春 昭和63年5月26日号)『合気之術の科学』61ページ(再載)。 これが佐川先生の「合気の制位」あるいは「空間の崩し」であり、これが勝負の合気(吉丸命名)です。これが「合気を掛けること」であり、これにより初めて実戦に役に立つのです。 つまり佐川幸義先生は、勝負の合気を隠していたのです。 「合気を掛ける」とは 人に遅れて発して人に先んじて至る。(後人発、先人至)技です。 文章では納得できませんから、動画で見てください。
「合気之術の科学副教材DVD1・2」の注文は吉丸へ F AX 0545−73−0898(ヨシマル) 4.300円(送料込み) 宛名、住所、(電話)を書いてFAXして下さい。 |
『合気之術の科学』解説第9回 23.10.15 吉丸慶雪 では武田惣角先生の大東流合気柔術は、無骨居士の合気之術とは無縁のものでしょうか。
カンゼヨリを作ってその先を持たせ、持つと同時に担げられてしまったので非常に驚いた。 これが合気之術です。つまりカンゼヨリを掴んだ瞬間に肩に担ぐこと、つまりこれが 後之以発、先之以至(遅れて発し、先じて至る) です。惣角先生がカンゼヨリを差し出し、相手が掴んだその瞬間(つまり機)に相手の手首を掴んで肩に担ぎ上げたのです。カンゼヨリを差し出すのは、誘いであり、つまり相手が「後之以発」という状態を強制的に作ったわけです。これが、山本派の 「合気に掛ける」こと です。 要するに惣角先生が「もっと掴め、もっと掴め」といって「遅れて発する」状態を作るのです。 世間では(佐川派でも) 「合気を掛ける」 と言いますが、「合気を掛ける」は受け身の感じであり、「合気に掛ける」は積極的な感じです。 たとえば、大阪での惣角の逸話では、ある居酒屋で女中が惣角に徳利を持ってきたら、先に注文していたヤクザがけしからんと怒り出し、惣角はではハイハイと徳利を渡そうとして、ヤクザが掴もうとした瞬間徳利を引き、ヤクザは火鉢の炭火に上に顔を伏して倒れた、という話になっています。 しかし私は、少し違っていると思っています。惣角は、徳利をヤクザに渡し、ヤクザが徳利を持った瞬間に手首を掴んで引き倒したと思います。つまり、徳利を誘導して引き倒したのではなく、徳利はヤクザに渡し、惣角の手が空になってからヤクザの手首を掴み、引き倒したのです。 これは「合気にかける」ことであり、惣角が徳利を出し、ヤクザが徳利を取ったところが「後之以発」、瞬間に惣角が機先で手首を掴み引き倒すのが「先之以至」です。 「武田惣角口伝 合気に掛ける」 1995.12.18佐藤金兵衛先生伝 相手が剛で来れば剛で対し、相手を潰すのが合気。頑張らせ頑張らせてこれを潰すのである。 「合気に掛ける」植芝先生の方法、口伝してはいけない。1997.7.28佐藤金兵衛先生伝 ということで植芝先生の方法は書くことはできませんが、「合気に掛ける」という技を合気道にも伝承されているわけです。 合気柔術を基礎から習うときは、日本兵法大和道本部(東京都北区滝野川)を推薦しておきます。 ではなぜ「後之以発、先之以至」つまり「遅れて発し先んじて至る」ことが合気之術であり、武術の必勝法であるかというと、以下が理論です。 「先は心の虚を撃つ心技 真剣勝負法で狙うのは心の隙である。心の隙とは、心が一つのことにとらわれたときであり、そのとき撃ち込まれると反撃ができないのである。攻撃を受けられたとき、攻撃をしようとしたとき、構えを変えたときなど、何らかの意図を持って行動を起こす、あるいは起こそうとするときは心が一瞬であるがそのことにとらわれいるので、つまり攻撃に関しては心は実であるが防禦については虚となっているので、その瞬間をねらって攻撃すれば絶対に攻撃ができないのである。(相手は)「待中懸」の技を使えないのである。 敵の心が虚となる瞬間をとらえるためには、自分の心を集中してその瞬間を待ちかまえていなければならない。敵の心が動くのを「待っている」のである。そして敵の心が動いた瞬間に撃ち込むのである。その心の虚をとらえる技術が心技なのである。そして心技を使うための理想的な境地を日本剣道では「無念無想」というのである。」『合気道の奥義』19頁 そのように『合気道の奥義』の「先の心の虚つ心技」は、実は合気之術であったということが、後になって分かったのです。 では佐川先生の言う「合気」と「後之以発、先之以至」とは違っているではないか。 佐川先生の【合気】とは何か? 『透明な力』によると、佐川先生の合気は「無力化する技術である。」と言っています。
しかし、よく考えてみると、いかにして「相手を無力化するか」については説明がないのです。つまり「合気により無力化する」と言いますが、その「合気」が分からないのです。 『佐川幸義先生伝 大東流合気の真実』高橋賢著には、佐川先生の「合気武道訓」(5頁)があり、以下のように書いています。 「合気の理により之をなだめ」「合気の理により敵の既発に随い」 しかし「合気の理」とは何かといっても、説明がないので、合気の理が理解できないのです。 大東館の武田時宗先生の説明は、「合気は後の先である。」そしてその方法としては、相手が押してきたら引き(無力化する)、引いたら押してやり(無力化する)もので、無力化する方法です。 「気に合わせる緩急の精神です」の意味は、相手が押してきたか引いてきたかに対して即応せよ、と言っているだけであり、精神論ではなく技術論なのです。 ただし「合気は後の先」には、力抜きの合気と勝負の合気を混同されています。 合気道では、「統一された結びによって発する気を合気という。砂泊兼基」といっています。他の本では「植芝が合気をかけたらば、接触の瞬間に相手の身体と植芝のそれがひとつになり(むすぶ)事実上相手のモノ化してしまい、相手の身体のコントロール権を奪い去ったはずである。『心身一如の身体づくり』尻原英樹」 つまり「むすび」により相手と一体化して、無力化したわけです。「むすび」は神道の用語を使っていますが、佐川先生の場合は「付け」であり、むすびも付けも同じ意味です。ですから「統一された結びによって発する気」とは、体と体をくっ付けている状態であり、つまり体之合気です。 体と体が結んだ状態では、つまりくっ付けていれば、自分が動けば相手も動くということになります。これが体之合気です。だから合気道の「結び」も技術なのです。 そのように、合気には力抜きの合気と勝負の合気の二つがあるのですが、その一面を余りにも強調するために「佐川先生の言わせる無力化する技術というのは、これらのことと本質的に異なるものである。」と誤解されるのです。 『合気之術の科学』解説第7回に書いたように、パソコンの実体はハードです。しかしハードだけでは仕事はできません。仕事をするにはソフトを入れる必要があります。 つまり人間が、芸能活動をするには、人間生来の身体ではできません。そのためにその身体を改良する必要があります。つまり、人間生来のハードを芸能活動用のハードに取り替えるのです。芸能活動のハードは、つまり基礎のハードは一つなのです。野球のハード、ゴルフのハード、合気のハード、発勁のハード、日本舞踊のハードなどはありません。これはすべて同じなのです。 つまり人間には、生来のハードと訓練されたハードの二つがあるのです。 ○人間の生来のハード 力を使うことができる体 ○訓練されたハード 弛緩力を使うことができる体。 弛緩力、勁力、気の力、呼吸力、透明な力、中心力などを使うことができる体は、すべて同じハードなのです。何故かというと、人間の身体運動は、『合気道の科学』に書いたように、 「1.骨格筋の働き 人間の身体運動 人の腕のモデル図によって骨格筋の働きを見てみよう。次頁の図において、上腕二頭筋は曲げるための屈筋、上腕三頭筋は腕を伸ばすための伸筋であり、一つの関節をへだててついている。二頭筋が収縮する(短くなる)と腕は屈曲する。これに対して三頭筋が収縮すると腕が伸展する。つまりこの二つの筋肉は反対の働きをするのであって、これを互いに拮抗(キッコウ)するという。 このように人間の身体運動は、互いに拮抗する骨格筋の収縮によって行われているのである。」 つまり人間生来の身体運動は、二つの筋肉の働きによるものですから、「力を出す、力を抜く」という一つの運動になります。 では、訓練された身体運動は全然違っているかというと、二つの筋肉は同じですから、「筋肉の強弱を変化させること」くらいしか出来ません。 このように人間には、生来の身体運動と、訓練により創り上げた身体運動との二つがあるのです。 この勁力、弛緩力、呼吸力、透明な力などは、「屈筋の働きを抑えて伸筋をコントロールする」ということで、私は伸筋制御運動と命名しました。 と言うことで、伸筋制御運動ができるハードにより、合気も、発勁も、野球も、ゴルフも巧くなることができます。 では佐川先生の合気とは何かというと、文献では週刊文春昭和63年5月26日号の記事です。 「自分の手足、体が相手に触れたとき、皮膚の内部の筋肉のはたらきで相手の力を抜く、それが合気なんだ。」 佐川先生は「筋肉のはたらきで相手の力を抜く、これが合気」と言っているのです。つまり「筋肉のはたらき」とは、伸筋制御の運動なのです。 ハード(伸筋制御運動ができるもの) これは一つ
佐川先生の合気は、「力抜きの合気」である、武田時宗先生は、合気は「後の先」である、合気道は、「結びによって発する気」を合気という、というように合気の一面のみを取り上げて説明しますから、分からなくしてしまうのです。 『合気之術の科学』解説第7回に書いたように、フルコンタクト・カラテの1996年1月号に、特集「秘技・合気の秘密」がありました。これを「合気の諸々の現象」として紹介しましたが、これはすべて正しいのです。吉丸の意見は、合気は伸筋を使い相手を崩す「技術」であるとしましたが、これも正しいのです。しかし一面のみを重視している欠点があります。 象をなでたとき、象の脚をなでた盲人は、象は大きな木の幹みたいだと言った。体をなでた盲人は、象は壁みたいと言った。た、鼻をなでた盲人は、象は本当は曲がった大きな鉤みたいだと考えた。 【合気】というような複雑な現象を、ただ一面、あるいは局部だけをみて、これは合気であると結論すると、間違ってしまうのです。「合気を一言に言う」ということは無理なのです。 だから、合気の全面的認識は必要なのです。そうして合気の全面的認識とは、以下のようにです。 合気の全面的認識 ハード −−−−→合気之錬体(伸筋制御運動が出来る体) ソフト −−−−→力抜きの合気(気をあわせ、合気を外す) | −−−→勝負の合気 (後人以発、先人以至) このようにして初めて「合気」を体得することができるのです。 力抜きと崩しの違い 力抜きの合気はありますが、崩しの合気はありません。次は「力抜きと崩しの違い」を考えます。 【続く】 |
『合気之術の科学』解説第8回 23.9.19 吉丸慶雪 昔、家に『秘密宝鑑全』という本がありました。私が覚えていたのは「空に大入道を出す秘術」というもので、よく晴れた日に、自分の影を30秒くらい凝視し、そして目を離して空を見ると大入道が出てくるというものでした。単に残像が見えるというもので子供騙しのものでした。他には催眠術、柔術護身術そして気合術などがありました。つまりこれは青少年用の本でした。考えてみると、父が買ったのは16歳のときで、ということは佐川先生も(父は同年)16歳のとき『秘密宝鑑』を読んでいたと思います。佐川先生が若いときに催眠術も研究したと言っていましたが、『秘密宝鑑』のことかもしれません。 昔は、子供騙しと思いましたが、良く考えると、残像を何度も繰り返し見ていれば、瞼の奥に残像が見えるようになり、そのうち心の中でイメージするだけで見えるようになります。つまりこれはイメージ、意識の集中は能力開発の基本になるもので、概に馬鹿にするものではないのです。 『秘密宝鑑 全 健斉居士 大正6年12月発行』は、現在、国立国会図書館に「催眠術関係」として蔵書されていますから、興味のある人は読んでください。 さて、私は迂闊ながら『月刊空手道二月号』別冊「極意」1998年冬号を読んでいませんでした。そのため『秘密宝鑑 全』により『合気之術の科学』を書きましたが、しかし『武道秘訣、合気之術』があるということが分かったので、これを検討してみます。 『武道秘訣、合気之術』(無骨居士著)は明治25〜33年発刊になっています。武田惣角先生の英名録によると、明治20年1887には西郷従道(元師、海軍大将、侯爵、陸海軍大臣)が大東流合気柔術を伝授されています。つまり明治20年から明治30年ころ、武田惣角の大東流合気柔術と、無骨居士の合気之術とは別々に存在していたということになります。 では私が書いた『合気之術の科学』は間違っているのではないか、ということになります。 ということで「合気之術」の原理はなにか、を考えてみます。
『秘密宝鑑』を読むと、『武道秘訣、合気之術』と同じことを書いています。つまり「合気の術は武道の奥義である。」あるいは「合気の術とは、闘わずして相手の気を制する術である。」と書いています。それに健斉居士とか無骨居士などの名前から見ても、同じ人なのではないでしょうか。 謀攻篇(戦わずして勝つ) 一、是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。(したがって、百度戦闘して百度勝利を収めるのは、最善の方策ではない。戦わずに敵の軍事力を屈服させることこそ、最善の方策なのである。)『孫子の兵法 完全版 石原光将』<参照終わり> この謀攻編は、確かに戦争の必勝法ですが、しかし、なぜこれが「合気之術」であるかは分かりません。したがって次を見てみます。 ●「武道秘訣、合気之術」(無骨居士もしくは無名氏 明治25〜33年発刊) (月刊空手道二月号別冊「極意」1998年冬号より) 世に若し玄妙なる妙術ある可くんば、則ち合気の術の如き最も玄妙不可思議なるものなり。而して合気の術は、我が神州武道の奥義にして、其の精妙を極むる者、又神州男児独特の技なり。 (合気の術は武道の奥義である) 孫子曰く、「百戦百勝、善の善なるものに非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」と是れ殆ど合気の術なり。何ぞや合気の術なるものは、 両雄将さに闘はんとして、而して未だ剣を交へず、甲の一雄、乙の一雄に先ちて、早く既に敵の気を制す。局外者は之を観て、其何の故たるを知らず。然れども其両雄間には已に其勝敗決して、亦敢て争ふ可からず。是れ之を名づけて合気の術と云ふ。 (合気の術とは、闘わずして相手の気を制する術である) 抑も合気の術なるものは一つに呼びて、即ち合気の法と云ふ。然からば其気合の法、即ち又合気の術なるものは如何と云ふに、一言以て之を云へば、総て敵に向ひし時、双方の気、一途に勝合ふの際、我れ一歩先んじて以て先の先に懸る歟、将た 又敵より懸る気を外して、以て後の先を取る歟、孰れとも我れ敵より一歩先んずる、是れ即ち合気の術なり。 総て敵に向かひし時、双方の気、一図に勝合ふの際、我れ一歩先じて、以て先の先に懸るか、将た、又敵より懸る気を外して、以て後の先を取るか、孰れとも我れ敵より一歩先んずる、是れ即ち合気の術なり。 <参照終わり> まず合気の術(合気之術)は、言い換えると合気の法、気合の法である、と言っています。そして合気之術を一言で言えば、双方の気が一途に勝合う時に(つまり気が合う、つまり合気) 「先の先に掛ける」あるいは「合気を外して後の先を取る」であると言うのです。 では「先の先に掛ける」とは何かというと、これが「後人発、先人至、」なのです。ただしこれは吉丸説です。 ということで無骨居士の合気之術は、日本剣道の極意と言われている「三つの先」であったということになるのです、 なお「先の先に掛ける」と言っていますが、直感的に「先の先に掛ける」即「合気に掛ける」と思われます。 佐川派では「合気を掛ける」と言っていますが、山本派には(佐藤伝)「合気に掛ける」があります。これは惣角先生が、もっと強く掴め・もっと強く掴めと言って相手の力を抜いたのが「合気に掛ける」でした。 さて『武道秘訣、合気之術』では、合気の法も気合の法も同じものであると言っています。 果たして同じでしょうか。 ところが『秘密宝鑑』を見ると、合気之術の具体的な方法がありました。これが読心術と気合術との組み合わせであり、つまり合気術は、瞬間に心を読んで気合いを掛ける、これにより相手の攻撃を封じてしまう、というものでした。 ということは、宮本武藏の「枕を抑えること」と同じことになります。(後述) 「先の先に掛けること」、あるいは「合気に掛けること」が「後人発、先人至」であると言いましたが、孫子の兵法ではこれを「迂直の計」と言います。 孫子の兵法より 軍争篇(戦場にいかに先着するか) 一、軍争の難きは、迂を以て直と為し、患を以て利と為す。故に其の途を迂にしてこれを誘うに利を以てし、人に後れて発して人に先きんじて至る。此れ迂直の計を知る者なり。 (軍争の難しさは、迂回路を直進の近道に変え、憂いごとを利益に転ずる点にある。だから、一見戦場に遠い迂回路を取りながら、敵を利益で誘い出してきて、敵よりあとに出発しながら戦場を手元に引き寄せて敵よりも先に戦場に到着するというのは、迂回路を直進の近道に変える計謀を知るものである。) 二、略 三、故に其の疾[はや]きこと風の如く、其の徐[しずか]なることは林の如く、侵掠することは火の如く、動かざることは山の如く、知り難きことは陰の如く、動くことは雷の震うが如くにして、郷を掠[かす]むるには衆を分かち郷[むか]うところを指[しめ]すに衆を分かち〕、地を廓[ひろ]むるには利を分かち、権を懸けて而して動く。迂直の計を先知する者は〔〔勝つ。〕〕此れ軍争の法なり。 (だから、疾風のように迅速に進撃し、林のように静まり返って待機し、火が燃え広がるように急激に侵攻し、山のように居座り、暗闇のように実態を隠し、雷鳴のように突然動きだし、偽りの進路を敵に指示するには部隊を分けて進ませ、占領地を拡大するときは要地を分守させ、権謀をめぐらせつつ機動する。迂回路を直進の近道に変える手を敵に先んじて察知するのは、これこそが軍争の方法なのである。) 『孫子の兵法 完全版 石原光将』<参照終わり> 有名な「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、」は、迂直の計です。 さて、武術の場合の合気之術は、瞬間に相手の心を読み、エイと気合いを掛けます。これで相手は瞬間攻撃が出来なってしまいます。ただし、気合術で、エイと気合いを掛けると鳥が落ちるというのは疑問です。 孫子の兵法では、敵の心(敵情)を読むために、用間篇〈スパイこそ最重要員〉がありますが、では武術では、如何にして相手の心を読むことが出来るでしょうか。 これが『合気之術の科学』第3章第9節の「前ぶれ」です。 前触れは、五感つまり視・聴・嗅・味・触の感覚から悟ることができます。特に視覚が大事で、表情を見る、しぐさを見ます。そのために意識の集中が必要となります。 実戦闘争技法では、「目は双肩ニ注ギ動向ヲ辨ズ、右脚ヲ出シテ撃テバ左肩動ク」とあります。あるいは剛柔流空手道の伝書では、「眼ハ四方ヲ視ルヲ要シ、耳ハ能ク八方を聴听ス」とあります。 つまり「前ぶれ」は、合気之術の眼目なのです。 次に、「前ぶれ」が感得したときにどうすれば良いかというと、この前ぶれ(機)に対して「出ること」です。これが「機先」です。つまり 前触れ(機) → 出る つまり軍争には、「迂を以て直と為し、、、人に後れて発して人に先きんじて至る」 迂直の計 後人発、先人至 つまり相手が攻撃をしたいと考えたその瞬間に自分が攻撃する、というのが合気之術なのです。 しかし孫子の兵法の軍争篇を良く読んでみても、如何にして「迂回路を直進の近道に変える方法」が分からないのですが、剣道の場合は分かるのです。 多分、荘子の説剣篇が成立してから、孫子の迂直の計が取り入れたと思います。 荘子 説剣篇 第三十 昔趙文王喜剣、剣士夾門而客三千人、日夜相撃於前、死傷者歳百餘人、 (略) 荘子曰、夫為剣者、示之以虚、開之以利、後之以発、先之以至、(略) (王は尋ねた「そなたの剣術はどれほどのものを制圧できるかな」。「私めの剣術では十歩歩くごとに一人を切り殺し、千里を突き進んで足を止めることがありません。王はすっかり喜んで「天下無敵だな」と感嘆した。荘子は続けた「剣を学んだといえるものは、相手に無術であるかのように見せかけ、相手に有利なように誘い込み、相手に遅れて行動を起こしながら、相手より先に目的を達するのです。ためしに一度お目に掛けたいものですね」。 『荘子全訳、草舎人』(参照終わり) しかし「相手に遅れて行動を起こしながら、相手より先に目的を達するのです。」という意味は一応分かります。しかし訳者が剣道の専門家ではないので、本当の意味が分からないのです。したがって書き直すと下記のようになります。 相手が攻撃した瞬間に自分が相手を切る これが 後之以発、先之以至 です。 しかし、後之以発、先之以至については、一番良く述べているのは宮本武藏の五輪書です。 『枕を抑える』とは。 頭を上げさせないということである。兵法勝負の道においては相手に自分をひき回され、後手に回ることはよくない。何としても敵を思いままに引き回したいものである。従って、相手もそのように思う。自分もその気があるわけで,であるから相手の出方を察知することができなくては、先手を取ることはできない。兵法において敵が打ってくるのを止め、突くのを抑え、組み付いてくるところを揉ぎ離すなどをすることなどである。枕を抑えるというのは、自分が一流の兵法を心得て、敵に向かい合うとしたら、敵が思う意図を事前に見破って、敵が打とうとするならば打つの字『う』で先制して、その後をさせないという意味であり、それがまくら押さえるとういうことである。例えば敵がかかろうとしすれば『か』の字で先制する、飛ぼうとうすれば『と』字で先制する、切ろうとすれば『き』の字で抑えていくことで、皆同じことである。敵が自分にどのように仕掛けてきたときも、役に立たないことは敵のするままに任せて、肝心の事をおさえて、敵にさせない様にするのが、兵法において特に重要である。敵のすること抑えようと思うのは後手である。まずこちらは、どんなことでも兵法の道に任せ、技を行いながら、敵も技を直そうとする出端をおさえ、敵のどんな企図も一切役に立たない様にし、敵を自由に引き来回すことこそ真の兵法の達人である。これはただ鍛錬の結果なのである。枕を抑えるということをよくよく調べなければならぬ。 『五輪書現代語訳 霊厳洞』(参照終わり) つまり「枕を抑える」ということは「頭を上げさせない」ということで、相手が動く瞬間(機)に自分が出る(動く)のです。敵が掛かろうとすれば「か」の字で抑える、ことです。 「か」の字とは、敵が掛かろうとした瞬間に反射的に抑えることで、これを「か」の字と言っているのです。つまり「カカロウト」と考えるのでは遅いので、その「カ」の字に反応して抑えるのです。 ということで合気之術の勝負の合気は「後之以発、先之以至」なのです。 ではこの合気之術と武田惣角の大東流合気柔術の関係とは如何に、が次の問題になります。 【つづく】 |
『合気之術の科学』解説 第7回 23.8.17 吉丸慶雪 合気の会得−1 (1)技とは何か? 月刊『秘伝』に、佐川道場の古参門人である××氏の談話として「佐川先生は、“合気之体“をつくらなくちゃ、どんなに技を覚えても仕方が無い」とおっしゃっていた。それで、どうしたら合気の体が出来るんですかって伺ったら『自分で見つけなくちゃいかん』とおっしゃって、教えることを拒まれ、このため、古参の門人でさえ「受け身とったり、木剣を振ったり、そうしたところから発見しなくてはいけないんだろうな」と話している。 佐川道場の案内書(昭和30年)には次のようにあります。 「それは第一に無駄な力をださぬ事と、合気之錬体になる様に教伝する」 合気之体を作ることは一番大事です。しかし「どんなに技を覚えても仕方が無い」という言葉はこれは間違っています。厳密には、技と技法は違います。技法、つまりテクニックと技は違うのです。 ある人には「技」があるとか、あの人は「技」を持っているという場合は、ある技術とか技法を体得していて、それを実際に使うことが出来るということです。つまりある技術とか技法を、人間が実際に表現できたとき、はじめて「技」と言うのです。 技 = 技法 + 人間 従って「技」には必ずレベルがあります。たとえば、 下手 → 普通 → 少し巧い → 上手 → 達人 → 名人 素人芸 → 玄人芸 一般に「ある人には技がある」という場合は、上手より上のレベルに達した人を言います。別の言葉で言えば、その技法が「能力」になっているということです。クライゼウイッツは戦争論で、「将帥の知識は能力になっていなければならない」と言っていますが、つまり知識は「技」にまでしなければ、役に立たないのです。 従って、合気技というものは「技法+合気之体」になります。 合気技 = 技法 + 合気之体 (2)型を技に変える 知識や技法をどのようにすれば「技」に変える、つまり身に付けることができるでしょうか。これは他のあるゆる学習と同じように、くり返しくり返し練習することしかありません。 旧佐川道場の教え方は「型稽古」でした。この型稽古が、「技」を創る方法です。 武術にかぎらず芸事の修行は「型」を学ぶことから始めます。そしてその「型」をくり返しくり返し練習することにより、その型を使うことができるようになります。その使い方は下手か巧いか人によって違いますが、とにかく下手なら下手な技を身に付けたわけです。 型 → くり返し練習 → 使える技 しかし下手な技を身に付いた場合は、この技を変えることは出来なくなります。だから最初から正しい型を徹底的に数多く繰り返すことが必要になります。量の変化は質をもたらします。これを量質転化の法則と言います。 型というものは「技法の規範」、つまり歴史的に集大的されてきた「技についての認識事項」、あるいは「技の理論」を表現しているものです。この歴史的な「型」あるいは師匠の「型」を学び、反復練習することにより、型に含まれる認識を追体験し、先人・師匠が創りあげた「認識」を自分のものにするのです。 理想的には、徹底的に型をくり返すことにより型を習塾して、ついには無意識的に自由自在に型を使えるようになります。そうなると、始めて達人・名人のレベルになったと云う事ができます。 柳生流の秘伝書である「兵法家伝書」には次のように書かれています。 「様々の習をつくして、習、稽古の修行功つもりぬれば、手足身に所作はありて、心になくなり、習をはなれて習にたかわず、何事も、するわざ自由也。」 しかし人間というものは、型を繰り返していると「技」は飽和状態になります。つまり最初はドンドン巧くなりますが、そのうちスランプになってしまいます。だから徹底的に型を繰り返すことが出来ないのです。 【飽和】saturation ある状態量を増加させる要因を増してもその状態を一定限度に止まり、それ以上ふえない状態。 ではどうすれ良いかというと、昔では新しい「型」を教えるのです。これが「秘伝」とか「口伝」でした。これが否定の否定になり、次の段階に進むことが出来るようになります。 しかし情報時代の現在では、「秘伝」もほとんど公開されていて、新しい情報つまり知識だけは肥大していて、使うことができないのです。 ということで型稽古の主体から合気之体の訓練を主体に変えることが大事なのです。 (3)技のレベルを上げる合気之体 『合気道の奥義』353頁には「合気之錬体」をまとめています。 腕立て、足腰を作る、変更足の訓練、素振り左右切り込み、四股を踏むなど、があります。 特に四股を踏むことと変更足の訓練が必須です。ただし変更足の訓練は腰を痛める場合があり注意が必要です。 合気之体を作る目的は? 人間は人間として、馬は馬として、猿は猿としての動作があります。しかし人間は、人間の生来の動作を、訓練により変わることができます。それが「芸の動作」で、これが人間の特徴です。 歌舞伎の芸、日本舞踊の芸、太鼓の芸、ゴルフの芸、野球の芸、合気の芸などがありますが、その本質は、これはすべて違うもの、と考えるようが可笑しいのです。私の考えは、芸はすべて同じ、と考えています。 拙書『合気道の科学』1990で「第3章 4.勁力の働きとその認識の意義」に書きましたが、歌舞伎の芸も、日本舞踊の芸も、ゴルフの芸も、合気の芸も、現象はもちろん違いますが、「力の運用」は、つまり本質は同じなのです。つまり合気之体も、太極拳之体も、ゴルフの体もすべて同じものなのです。 さらに『勁力の科学』は、すべて合気之体(合気之錬体)のために書いています。合気の体(合気之錬体)は、勁力・呼吸力・弛緩力・相撲力・透明な力を使うことができる体です。 勁力とは、剛から柔へ、柔から剛へ変化される力である、つまり強い力から弱い力へ、弱い力から強い力へ変化される力なのです。 東洋の陰陽論では、「陰極まれば陽極まり、陽極まれば陰極まる。」と言っています。つまり剛から柔へ、剛から柔へと変化します。これを波動であると言うこともできます。 この剛から柔へ、柔から剛へと自由に変化できる力が勁力であり、呼吸力・弛緩力・透明な力をすべて同じなのです。 見事な芸というものは、力を自由に変化させるものです。 この弛緩力(変化する力)を使って「力抜き」を行う、あるいは弛緩力を使って発勁をします。 つまり合気之体を作る目的は「力抜き」の体得なのです。 佐川幸義先生は、「自分で見つけなくちゃっていた」とおっしゃって、教えることを拒んでいたために、古参の弟子も分からない(『秘伝』)のですが、実は、佐川先生がちゃんと語っています。 では佐川先生の合気とはなにか? 「私は、なにも気とか、催眠術とか、そのようなものを使っているのではなく、ごく簡単な力学ですよ。自分の手足、体が相手に触れたとき、皮膚の内部の筋肉のはたらきで相手の力を抜く、これが合気なんだ」週刊文春 昭和63年5月26日号 つまり「体が相手に触れたとき、筋肉のはたらきで相手の力を抜く、これが合気」なのです。 力学という言葉から合気を研究してくると、合気は分からなくなってしまいます。「簡単な力学」という言葉は無視してください。本質は「筋肉のはたらき」です。 では筋肉のはたらきとはなにか? これは「合気の理」により説明します。 「合気」とは、気が合うことです。広辞苑「感じ方や考えが以通っていて、親しみがもてる」 人間は、人間が接触したときに自然に気が合うという性質があります。あるいは嫌う者も居て、気が合わない場合もありますが、体術の場合は必ず気が合います。 たとえば、優しく抱えると相手も優しく付いてゆきます。これが合気の状態です。乱暴に腕を掴んでくると、相手は抵抗します。これが合気の状態です。 つまり人間には、自然に気が合う性質があるのです。 この性質を使って、相手の力を抜くことができます。つまり、 自分の力を抜くと相手の力が無くなる というのが「合気の理」なのです。 では自分の力を抜く方法は何か? これが伸筋制御運動、つまり伸筋制御です。伸筋論とは、私が言っているものでは無いのですが、勿論伸筋には「合気」の働きなどはありません。なぜ「力抜き」が出来るかというと、伸筋の変化を使うのです。これが佐川先生の言っている「筋肉のはたらき」なのです。 昨日28日、世界選手権が上海で行われ、50メートル背泳ぎは寺川綾選手が27秒93の2位で日本勢三つ目のメダルを獲得しましたが、ワニ歩き、カニ歩きを披露していました。 ではこうした水泳の体と、合気の体は同じでよいかというと、基礎は全て同じですが、違うところは伸筋のコントロールのところです。つまりワニ歩きもカニ歩きも良いのですが、これより伸筋の制御、つまり伸筋の変化、つまり強弱の変化が大事なのです。 だから剛柔流空手道では、剛と柔の力の変化、つまり強弱の力を使って発勁します。 大東流合気柔術は、強弱の(伸筋)力を使って力抜きをします。 力抜き → 合気之体 伸筋制御 ↓ → 力抜きの方法 自分の力を抜くこと なお面白いことに、寺川綾選手のアルマジロスターターは開合の姿勢になっています。つまり白人の選手は、姿勢が伸びていますが、寺川選手はアルマジロの様に曲げていますが、これが発勁の姿勢なのです。『発勁の科学』開勁と合勁を参考ください。 では合気の体(合気之錬体)を作る方法とは? 昔の日本では、芸事の修行は「型を習う」ことから始めます。 型を習う 柳生流の「兵法家伝書」には次のように書いています。 「様々の習をつくして、習、稽古の修行功つもりぬれば、手足身に所作はありて、習をはなれて習にたがわず、何事も、するわざ自由也。」 ここで「習」と言っていますが、何を習うのかといえば、それは「型」というカタチに集約されたその流派の技術についての「認識」です。つまり型(認識)を正確に繰り返し繰り返し練習することによって型に習塾し、ついには型を離れて技を創り上げるのです。 型(認識) + 量質転化 = 技 これに就いては佐川道場の案内書に書いています。 「我流は始めは力を出さなくもよい稽古なれば、非力の弱少者・女子・老人にても容易に修得する事が出来る」 つまり力を出さず正しい型稽古により技を会得するのです。ただし現在の情報社会では、そうした稽古法は上手くできません。ということで以下のものを推奨します。 @.日本武術太極拳連盟の検定が適切。 A.たとえば「ヒップホップダンス」「ストリートダンス」などの速い動作が良い。 B.武術では居合道が適切。 合気之技とはなにか? ではこれで「合気を会得」できるかというと、「合気の会得」はできません。合気之体と合気之技とはもちろん違うのです。ということで「合気の会得−2」に続きます。 合気の会得−2 武術の科学化 『合気道の科学』、『勁力の科学』、『合気之術の科学』には「科学」という言葉を使っていますが、科学とはなんでしょうか。 では、そもそも科学とはなんでしょうか? そして、それと対比されている哲学とはなんでしょうか? 簡単にいうと科学とは、事実から導きだされた、現実との対決で証明されている原理原則のことです。それに対して哲学とは、机の前で頭をひねって考え出した、現実との対決で証明されていない原理原則のことです。 「よせふで いちげんが説く中学生・高校生への““弁証法”講義」寄筆一元 『合気道の科学』には以下のように書きました。 科学とは、物事の現象を追及して、その本質を解明することである。現象とは、人間が五感を通して感得するところの事実を言う。 科学の目的は、問題の解決にある。 したがって「合気」を科学する目的は、万人が合気の奥義に到達できる道を探ることある。 と述べ、次に「合気」を科学する目標として 呼吸力・気の力の本質を解明すること。 合気とは何かを明確にすること。 としました。 その結果、@呼吸力・気の力の本質は、「変化される筋肉である」としました。これが伸筋制 御運動です。 「A合気とは何かを明確にすること」については、今まではできなかったのですが、今回の『合 気之術の科学』で始めて成功しました。 武術の科学化の目的は、武術の上達にあります 物事の本質(真実)を到達するために「科学的な考え方」を使うことです。科学的な考え方というものは、「事実」の分析の中から「法則」を発見することです。 「現象」というのは、我々の五官で感じるそのものです。そのものがそのまま真理であれば、つまり現象と本質が一致しているならば、科学は不要です。それが一致していないからこそ、現象を研究して、その本質を探り出そうとするのが科学です。 本質は単純! 現象は複雑、本質は単純です。 合気の諸々の現象 フルコンタクト・カラテの1996年1月号に、特集「秘技・合気の秘密」より。 ◎財団法人合気会 本部道場 師範 藤田 昌武 約束稽古・型稽古を通じて体の鍛練をすると同時に、相手と合い和する心の鍛錬を目的にしています。そして、こうした稽古を通じて、誰もが持っている合気も養われ、発揮されてゆくと考えています。 ◎合気道 茨城道場 師範 斉藤 守弘 合気は本来誰もが持っているものだが、それは正しい型の稽古から発揮されるもので、その為には、正しい型の稽古を繰り返すことにより習得しなければならず、それなくして合気を得ることはない。 ◎合気道養神館 本部道場 師範 中野 仁 合気は必ずしも神秘的なものではなく、敵との間合いや殺気を感じる等のことを含めて合気であると思います。 ◎合気練体会 主宰 吉丸 慶雪 合気というものは伸筋を使い相手を崩す「技術」です。 ◎総合武道養正館 館長 望月 稔 合気の気は「やる気」。すなわち闘志です。闘志と闘志のぶつかり合い。それが合気道だと思います。 ◎大東流合気柔術幸道会 総本部長 井上 祐助 言葉や文章ではなく、実技を通じて伝えてゆくべきものであるだけに、定義したり、本に書いたりしたこともありません。 ◎大東流合気柔術本部 本部長 近藤 勝之 必ずしも合気=崩しではありませんが、最初の段階では「崩し」と理解してよいでしょう。 ◎大東流合気柔術 練心館 師範 前田 武 「集中力」ではなく、触れることで相手を無抵抗にさせることだと思います。接点から気を出して、丹田から足へと伝えることによって相手を動けない状態にしてしまう。 師匠の松田敏美には「力を入れるな」と教わりました。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から転載。 合気(あいき)とは、強い筋力を用いずに相手の身体の自由を奪う武道の技 軽く触れただけで相手を一瞬にして無力化させるなどの現象 ◎大東流合気柔術六方会 宗師 岡本正剛 円や螺旋の動きで相手の中心を崩し、自由を奪う。円運動で相手の人体の反射をひきおこし虚の状態を作り出す。そこから相手の重心を崩す。この動きの中に呼吸の力を用いることによって合気は威力が引き出される。 ◎高岡英夫 低次合気はタイミング、テコ、固定支点、慣性の単純な利用、重力の単純な利用、力の合成などによって特徴付けられる。中次合気は、動きの支点の絶妙な操作である支点転動によって実現される。 合気の本質とは なぜ合気を会得できないかというと、合気の定義が分からないからです。 たとえば、上のように「合気とは何か」について師範が述べていますが、これはすべて正しいのです。しかし群盲象を撫でると同じであり、現象が複雑のため合気の定義を作ることができません。 「合気は技術である」という派と、総合なものであるという派があります。たとえば養正館の望月稔先生は、合気の気は「やる気」、すなわち闘志です、と言っています。つまり崩しとか力抜きの技術ではなく戦いの方法もあるではないか、と言っているのです。 大東流は技術偏重であり、合気道は総合的であるという感じです。 ということで、私も反省していて、結論として『合気之術の科学』を書きました。つまり、合気之術には、二つの術があります。一つは「力抜き」二つには「戦いの方法」です。 合気之術 → 力抜きの合気 ↓ → 勝負の合気 パソコンでも、ハードとソフトであって始めて仕事ができます。「合気」も同じでありハードとソフトがありますが、合気之術には二つのソフトがあります。そのために、今までは定義が出来なかったため、合気之術を体得した名人・達人たちも、合気之術を弟子に教えることが出来なかったのです。ということで、合気之術の定義を作りました。 合気之術の定義 → ハード 合気の体 → 伸筋制御(運動) ↓ → ソフト1 力抜きの合気 → 気を合わせ、合気を外すこと ↓ → ソフト2 勝負の合気 → 後之以発、先之以至 力抜きは、自分の力を抜くと言いましたが、単に自分の力を抜いても相手の力はなくなりません。まず相手と気を合わせ、つまり相手と自分の気(力)を合わせて、気(力)を合わせたところに自分の力を抜きます。そうすると相手の力も無くなるのです。 では、相手の力が無くなると体が崩れるかというと、崩れません。崩すには円や螺旋の動き、あるいは円運動で人体の反射を引き起こし虚の状態を作り出す(岡本先生)、テコ、固定支点、逸らすなどの物理的な操作が必要です。 つまり力が無くなった状態から、始めて物理的な操作を行うのです。本質は「力抜き」であり、物理的な操作は現象なのです。現象は複雑、本質は単純です。「気を合わせ、合気を外す」という本質を理解すれば、力抜きの合気は会得できます。 力抜きの合気 = 力抜き + 物理的操作 佐川先生は、『週刊文春』の記者に「筋肉のはたらきで相手の力を抜く、これが合気」と言いましたが、勝負の合気には触っていません。そのため多くの人は佐川先生の合気は「力抜き」であると認識されるようになっています。 しかし、『週刊文春』の写真には(上段左)、佐川先生の「合気の制位」がありました。その「合気の制位」こそが勝負の合気です。つまり佐川先生は分かっていました。なお、勝負の合気は吉丸の命名です。 「小手之合気」も「体之合気」も実戦に役に立ちません。というより、勝負の合気を知らない人に、いくら小手之合気を教えても、実戦には役に立たないということです。 たとえば「両手を掴んで来なさい」と指定して、見事に投げることができても、「顔面を突いて来なさい」と指定して、見事な技を演武できても、自由に攻撃を掛ける場合は、小手之合気も体の合気も役に立たないのです。 合気之術は、自由に攻撃する者に対しての技術なのです。だから「勝負の合気」は極秘密であったのです。武田惣角先生の強さの秘密は、勝負の合気であったのです。 23.8.17 続く |
『合気之術の科学』解説第六回 23.7.24 吉丸慶雪 いつ合気之術が日本に伝ったか 1.百済の兵法家が日本の都市建設に参加した? 「『孫氏の兵法』は一般的に7世紀ごろ日本に伝わり、その後、韓国に伝わったと言われているが、韓国の研究者によると、『孫氏の兵法』の韓国への伝来は日本よりも早い可能性が高いという。中国新聞社は「韓国の研究者の説は今後の考証が必要だ」と報じた。 韓国の研究者によると、奈良時代に遣唐使として唐に渡った吉備真備が『孫氏の兵法』を日本に持ち帰るよりも先に、百済の兵法家が日本の都市建設に参加した際に、孫氏の兵法を日本に伝えていた可能性があるという。もしこの説が正しければ、朝鮮に伝わったのは日本よりも70年以上も先となる。」 韓国の研究者によると、吉備真備が『孫子の兵法』を持ち帰る(735年)先に、百済の兵法家が都市建設に参加した際に、『孫子の兵法』を日本に伝えていた可能性があるというが、 残念ながらこれはありません。 合気之術と『孫子の兵法』とは関係があります。何故かというと、孫子の「迂直の計」が合気之術になるのです。『荘子 説剣編』も殆ど同じ時代ですが、これが合気之術なのです。しかし多分『荘子 説剣編』が早く成立していると思います。 『荘子 説剣編』は剣の必勝法、原理は後之以発、先之以至 孫氏の「迂直の計」は戦いの必勝法、原理は後人發、先人至 何れも意味は 「遅れて発し先んじて至る」 です。 宮本武藏の「枕をおさゆると云事」が「遅れて発し先んじて至る」なのです。 武田惣角の剣も同じ「遅れて発し先んじて至る」もので、これが合気之術になるのです。 ということで合気之術は何時日本に伝わったかというと、『孫氏の兵法』あるいは『荘子説剣編』に伝わった時である、ということになります。 では百済の兵法家が『孫氏の兵法』を日本に伝えた可能性があるか、というと、これはありません。 吉備真備(遣唐使)の帰国(735年)の70年前、つまり665年前後に、日本で都市建設はありませんでした。663年には倭国は白村江の戦いでは敗戦して、百済は減亡し、百済人は日本に亡命している時代です。 では都市建設がいつ有ったかというと、本格的に都市を建設したのは藤原京であり、これが690年着工で、亡命していた百済人も参加したは当たり前です。 663年8月に、倭国(九州)は白村江の戦いで敗戦して、後営の位置に居た近畿天皇家は唐国と和解しました。 671年に唐国の使者である郭務ソウなどが約六百人(総合二千人)来ていますが、そのとき貴重な鉄武器を満載して、武器庫にしたのが多武峰、つまり唐(トウ)の峰でした。 (日本書記 天智十年、671) 十一月の甲午の朔癸卯に、対馬国司、使を筑紫太宰府に遣はして言ふ。「月生ちて二日に、(中略)、四人、唐より来りて曰く『唐国の使人郭務ソウ等六百人、送使沙宅孫登等一千四百人、総合二千人、船四十七隻に乗りて、倶に比知嶋に泊りて、相謂ひて曰く〃今、吾輩人の船、数衆し。忽然と彼に至らば、恐らくは彼の防人、驚き駭みて射戦はむ〃と。乃ち道久等を遣はして、預に来朝するの意を披き陳べしむ』と」。 下川潮の『剣道の発達』によれば、郭務ソウが来朝した671年の2年後、天武天皇(673〜686)は、兵事を一番大事であるとし、次の持統天皇(687〜697)は、諸国の壮丁四分の一を兵とし武事を習われたのです。 そして持統天皇3年(689)11月8日の条に、高田石成は3種類の武器(弓、刀、槍)に習熟されたことにより褒賞されています。その壮丁の一人が高田石成です。そのように、唐式武術の養成は、国家事業であったのです。 つまり唐式の鉄武器を天皇家に渡したのが671年ですが、その武器の使い方である『荘子説剣編』や『孫氏の兵法』を、一緒に持ってきたのが自然なのです。 ですから、合気之術が671年に伝来されたと云ってもよいのですが、一応「合気之術の伝来」は、正式には高田石成の褒賞があった持統天皇3年(689)である、ということにします。 「天武天皇は、、、、、最も意を兵事に留め、勅して曰く政要は軍事より大なるはなしとて諸王諸臣に兵馬を畜へ武事を練習せしめ、文武官の馬あるものは騎兵、なきものは兵卒とし、兵器を欠亡しむれば罰ありとし兵器はことごとく官庫に蔵め、親王大臣といえども私有することは禁じられ或は諸国に詔して陣法を習はしめられ、また持統天皇の朝には諸国の壮丁四分の一を点して兵とし武事習わす、、、、、、、衛士は令義解によれば一日は上って宮城に宿直し、宮門の開閉と、、、、、、、警戒に任し、次の一日は下りて衛府て弓馬を練習し刀法を習い槍法を学び、弩石の技を学び、午時に至りて各放課となるとあのば、地方に於ける軍団の兵の日程もまた之と大差ならるべし。」『剣道の発達』文学士下川潮著 このように『孫子の兵法』『荘子 説剣編』は、唐から直接に伝来されたもので、百済から伝来したものではないのです。 『荘子 説剣編』『孫子の兵法』の伝来 → 合気之術の伝来 2.しかし、合気之術の伝来はもっと古い! 日本で本格的な都市を建設したのは618年のときで、これが倭京と言われる太宰府です。これは大宰府は風水に基づいて建設されていて、中国の首都(長安)をモデルとした都市です。 『魏志倭人伝』によると3世紀の奴国(博多)でさえ2万戸(10万人以上)の人口があり、藤原京や平城京より遥かに人口が多かった。 倭国が倭京を建設した618年は、唐が建国した同じときです。 倭国は百済とは同盟関係でありましたが、武術を習う関係ではありません。 したがって、倭国では独自に『孫子の兵法』を少なくとも618年には入手していた可能性があるのです。つまり618年には、合気之術も伝来されていたと私は考えています。 つまり合気之術は九州に伝来された、と思います。 しかしこれは異論もありますから、正式には、合気之術が日本に伝わったのは持統天皇の朝である689年である、ということにします。 618年 九州年号 倭京元年 唐建国 663年 倭国は白村江の戦いで敗戦と、天皇家は唐国と和解した。百済減亡。 668年 高句麗減亡 新羅統一 671年 倭国から日本国へ国号の変更 唐国の使者郭務ソウが従者約六百人(総合二千人)来日。 689年 持統天皇 高田石成に褒賞 690年 藤原京着工 国号を周と改めた(武周)。 694年 藤原京遷都 712年 勢唐 玄宗皇帝即位 735年 遣唐使 吉備真備帰国 唐では儒学のほか、天文学や音楽、兵学を学ぶ。 753年 遣唐使 吉備真備帰国 鑑真和上ら8名 思託鑑禎が拳・杖を教える。 907年 唐滅亡 続く |
『合気之術の科学』解説 第5回 23.7.3 吉丸慶雪 1.「合気を掛ける」とは 「機先を制す」という言葉は慣用語であり、だれでも知っています。しかし知っているがために、本当の意味が分からないのです。 本当に「先」を会得した達人であれば、「機先を制す」を見て、「合気を掛けるとは機先を制すこと」と納得できるのですが、普通の人では、「合気を掛けるとは機先を制すこと」では納得できないと思います。何故かというと、各人の速度感覚が違っているからです。 五輪書火の卷「枕を抑える」とは、これがつまり合気之術です。 「頭を上げさせないということである。、、、、枕を抑えるというのは、自分が一流の兵法を心得て、敵に向かい合うとしたら、敵が思う意図を事前に見破って、敵が打とうとするならば打つの『う』で先制して、その後をさせないという意味であり、それが枕を押さえるということである。例えば敵がかかろうとすれば、かかろうの『か』で先制する、飛ぼうとすれば飛ぼうの『と』で先制する、切ろうとすれば切ろうの『き』で抑えていくことで、皆同じことである。敵が自分にどのように仕掛けてきたときも、役に立たないことは敵のするままに任せて 、、、、、肝心の事をおさえて、敵にさせない様にするのが、兵法において特に重要である。云々」(霊厳洞五輪書現代訳) このように敵が思う意図を事前に見破るのが合気之術であり、全神経を集中して耳を澄まし、四方を観て前ぶれを感じて、この前ぶれを感じた瞬間に(つまり機)に、掛かろうの『か』で反応して先制するものです。 つまり「掛・か・ろ・う」という時間感覚では遅いので実用にはならないのです。「掛かろう」と考えるだけで、もう遅いのです。だから相手の「かの字」に反応して瞬間に(機)に先制するのです。 普通の人では、「キ セ ン ヲ セ イ ス」と考えるので遅いのです。「機先を制す」でも遅いのです。だから「機先を制す」の「機の字」で反応するのです。 たとえば山本派の伝承があります。 「小手を掴んで来たときは目的があり、例えば手首を掴んで蹴る。両手を掴み右膝を蹴り上げる瞬間に、両手を落とし合気を掛ける。これで相手は蹴ることができない。」 佐藤金兵衛先生伝 このように、相手が蹴り上げる瞬間(機)に両手を下ろします。これが「合気を掛ける」ことで、蹴り上げるの「ケの字」に反応して両手を落とします。これが機先を制することです。 ところが古柔術の手解きで(流名失念)で合気之術が出てきます。!! 【××流の手解き 両手捕】 我が右手を水平にして左後方に引き抜く。肘は敵の正中線に付ける。受けは左掌で肘を抑え受けて直ちにその虎口で我の右手首を掴み上げる。我は手刀で真下に切り下ろし、左手は虎口で筈に掴み挙げ、右脇に抱えながら受けの体前に左足を踏み込み、四股立ちとなって腕を抱く。肘逆は決めない。受けが立ち上がろうとすると「タの字」で抑える。 佐藤先生伝。 相手が立ち上がる瞬間(機)に「タの字」に反応して制します。古柔術には合気という概念はないのですが、明らかに合気之術です。 【四方投裏】山本派伝 四方投に入ろうとするのを我右肘をさりげなく脇に付けて、人差指に気を込めて技を掛けさせない。敵が力を入れるときだけ気を込める。抑えるの「オの字」で抑える。 佐藤先生伝。 このように相手が動く瞬間に「ウの字」に反応して相手の技を封じ込めるのです。 このように「機先を制すこと」が「合気を掛けること」で良いのですが、普通の人には納得できないので、新しく「機先に出る」という言葉を作りました。
合気を会得するには、合気の定義が必要です。しかし合気の定義はありません。 合気とは「気を合わせること」ですが、崩すとか投げるとか制すとかの技術にはなりません。 従って従来の「合気」は、合気之術の略語形と考えるのが適当と思います。 2.揚げ手について 従来の「合気」は、力抜きと先の技術が混同していて、そのために「合気」の理解が出来ませんでした。とくに「力の無力化」が即合気と考えているため、先の技術は知らない人が多いのです。 そのため『合気之術の科学』では、勝負の合気と力抜きの合気に二つに分類しました。 勝負の合気は、先の合気と言っても良いと思っています。佐川先生は「合気の制位」という言葉を言いましたが、これが勝負の合気です。 勝負の合気を使うときは、同時に体之合気になることが多いのです。このことを五輪書水の卷の中で「しゅうこうの身と云う事」「しっかうの入身と云ふ事」「たけくらべと云ふ事」と述べていますが、これが体之合気です。 「揚げ手」はマスコミで有名になり、揚げ手は「合気の奥義である」と常識になっていますが、私は武田惣角先生がわざと弟子が上手くならないようにしているのではないか疑っています。 たとえば剛柔流の三戦は、弛緩力(勁力)の訓練法ですが、このときは先生が筋肉を触って感覚を教えます。これを先生に就かなく独学すれば、当たり前ですがリキムことになります。 揚げ手でも同じ弛緩力(呼吸力・勁力)の訓練法であって、先生が弛緩力の感覚を教えるようにしないと、リキムのは当たり前になります。佐川先生は、「子供のときからリキムという感覚はなかった」と言っていましたが、これは特別な人です。だから惣角先生の「素人に最初から揚げ手を教える教程」では、リキムのは当たり前なのです。 武田惣角先生の死水を取った山本角義先生は、惣角先生の最後の秘伝を伝承していました。揚げ手については、強く掴んで始めて技は掛かります。揚げ手だけではなく、強い力の方が技はよく掛かります。何故強い力の方が技はよく掛かるかは、力抜きの理論から説明できますが、これは別に述べることにします。 揚げ手について、佐川先生は「ただ真っ直ぐに上げればよい」と言っていましたが、佐藤先生の伝承にも、同じことがあります。 「董海川師(八卦掌の創始)は言われた。片手をつかまれたら、ただ上げれば良い。手を真上に振り上げ、下に切り下げ、鎖骨を折る。」 つまりリキミのない力、勁力を会得した人には、ただ上げるだけで良いのです。だから先生がその感覚を教えていない場合は、二人で上げ手の訓練などをするより、太鼓を打つ、ダンスを習う、太極拳を習うなどのようがよい、ということになります。 【武田惣角口伝 合気に掛ける】山本派伝 相手が剛で来れば剛で対し、相手を潰すのが合気。頑張らせ頑張らせてこれを潰すのである。佐藤金兵衛先生伝。 【惣角の上げ手秘伝】山本派伝 頑張らせ頑張らせて潰す。剛には剛。 ぐっと押すと相手は頑張る。その瞬間に××××して上げる。相手に頑張らせないと技は効かないので、わざとぐっと押して頑張らせるのである。力の入った瞬間に××××××のが秘伝。佐藤先生伝。 続く |
『合気之術の科学』解説 第4回 23.5.19 吉丸慶雪 1.気を合わせること、つまり合気 気が合うということは、広辞苑によれば以下の通りです。 【気が合う】感じ方や考え方が以通っていて、親しみがもてる。 気が合う、つまり合気です。 たとえば、握手では互いに適当な力で掴みますが、これが合気の状態です。たまにはグッと掴んでくることもあります。そのときは自分もグッと掴みます。これが合気の状態です。相手がグッと掴んだときに,痛いと力を抜くと合気ではありません。 体術において「気が合う」、あるいは「気を合わせる」ということは何かというと、たとえば小手を掴んできたときに自分は小手を張るとこれは合気の状態になります。たとえば腕を掴んできたときは自分の腕を張るとこれは合気です。相手が強く掴んできたとき自分が頑張るとこれが合気です。 私が佐川道場に入門したとき空手二段ということにしていましたが、コバ返し(甲返し)が痛くて空手をしているから苛めているのではないかと思うくらいでした。ところが3ヶ月もすると痛くなくなってました。つまり痛いときは合気の状態にはなく、頑張ることができるときは、合気の状態になるのです。 道場では逆手が掛かりますが、外では逆手は掛かりません。昔二ヶ条を習ったとき、これは良いと思っていましたが、寮の外で酔っ払いが騒がしいので、手首を掴んで二ヶ条を掛けようとしましたが、必死になって抵抗し逃げてしまいました。つまり素人でも、必死になって抵抗すると、合気の状態になるのです。道場では、必死に抵抗するということは出来ませんから、結構逆手が掛かります。合気道の人は、逆手をあまり痛めないので、これも結構掛かりますが、本当に抵抗すれば逆手は掛かりません。 人間は合気になる性質があるのです。つまり本能的に頑張るのです。したがって逆手は掛かりません。ではどうすれば良いかというと、真の力抜きを習うしかありません。真の力抜きは出来るか出来ないか、の二つなのです。 2.体の一体化 『合気道の奥義』を脱稿した直後に不思議な体験をしました。自分が動くと相手が自然に倒れるのです。考えてみると、一体化すると自分の動きが相手の動きになるのです。 体の一体化とは、気を合わせること、つまり合気の状態であり,合気の状態であれば体之合気になるのです。 人間には合気になる性質があると書きましたが、では誰でも体之合気になるのではないかと思われますが、これは出来ません。 名人が,気を合わせるだけで相手を制御する(ように見える)のですが、我々が気を合わせても相手を制御することが出来ません。体の一体化が出来ていないからでしょうか。 体術において「気を合わせること」とは,相手が掴んできたとき自分はこの部分を張ることです。つまり筋肉を張ること、つまり伸筋を張ることです。 合気とは、弛緩力を使って気を合わせること。 合気とは、呼吸力を使って気を合わせること。 合気とは、勁力を使って気を合わせること。 勁力(呼吸力・弛緩力)とは力の変化のことです。つまり剛から柔へ,柔から剛への変化のことです。つまり力の波動なのです。だから気が合わせるとつまり合気の状態になると、つまり一体化されると、自分が動けば相手も動く筈です。これが自分の体験でした。 ところがこれを他の人に教えても出来ません。 体の一体化というのはくっ付けるということです。しかし単にくっ付けでも、一体化にはなりません。それには「外側へ張り出す力」を使って相手にくっ付けるのです。 外側へ張り出す力とは太極拳でいうポン勁のことですが、これは勁力の一つの性質であり、つまり勁力なのです。外側へ張りだす力は,呼吸力でも弛緩力でも持っています。だから呼吸力でくっ付けることも出来るし、弛緩力でくっ付けることも出来ます。 弛緩力(呼吸力・勁力)で相手にくっ付けると、相手と一体化することが出来ます。すると自分が動くと相手も一緒に動くのです。 これが体之合気です。 3.力抜きと小手之合気 弛緩力で一体化していると、自分の力を抜くと相手も力が無くなる理屈ですが、これは結構難しいのです。自分の力を抜くときに外側へ張る力も無くなりますから、相手の力は無くなりません。これが出来れば名人芸です。普通にはこれは出来ません。 ではどうすれば良いかというと、「弛緩力で気を合わせ」でこれから突然自分の力を抜きます。これで相手の力が無くなるのです。これで誰でも相手の力を抜くことができます。 理論では、気を合わせ、合気を外すことになります。 力抜きは 気を合わせ、、合気を外す 武田惣角先生の「頑張らせ頑張らせてこれを潰す」という合気の口伝は、頑張らせ頑張らせて突然に自分の力を抜くことです。そして潰す。 小手之合気 気を合わせ(合気)+合気を外し+力を出して崩し+潰す つまり、気を合わせ(合気)合気を外し力を抜きますが、その瞬間に自分の力を出し相手を崩し、これから制御するのです。これが小手之合気です。 小手之合気の目的は、小手を掴んでもらい、相手の小手の力を抜く訓練である、と私は思っています。しかし、たとえば「上げ手」は、持ち上げる訓練と考えると,合気之術は会得できません。 特に惣角先生が最初に教えるのが「上げ手」ですから、殆どの人は下手になります。素人に最初に「上げ手」を教えると、リキムのは当たり前で、惣角先生とわざと上手にならないようにしているのではないかと考えたこともあります。 剛柔流の三戦は、これも勁力(弛緩力)の訓練ですが、先生が体を叩いて感覚を教えます。これでリキミが無くなります。だから大東流の「上げ手」でも、先輩が手を取って感覚を教える必要があるのです。 力抜きは自分の力を抜くのですが、脱力ではありません。気を合わせたときは伸筋を張るのですが、合気を外すときは伸筋を緩めます。つまり脱力ではなく弛緩するのです。 これにより相手の力が無くなります。脱力と弛緩の違いは,丹田の使い方にあります。 小手之合気は、まず気を合わせ(合気)上に(自分の)力を抜く、まず気を合わせ、横に力を抜く、まず気を合わせ、下に力を抜く、、、6方向に力を抜きます。小手の筋肉は一番器用なので、まず小手の筋肉を使って力抜きを習うのです。これが出来ると、次は体之合気を習います。 たとえば腕の力を抜く、胸倉の力を抜くのです。胸倉の筋肉、というものは無いので、背中の筋肉を緩めるのです。そうして色々の筋肉を自在に変化させ、力抜きを習うのです。 これが伸筋制御運動なのです。 小手之合気も体之合気も、実用ではありません。 何故かというと、小手を掴め、、、袖を掴め、、、、胸倉を掴め、、と指定するときは、いくら技が巧くでも、自由に攻撃するときは、これは別の問題になります。 では自由に攻撃してきたときは如何にというと、これが「付け」の理論です。 合気之術は自由に攻撃したとき、ただ「付ける」だけです。 |
『合気之術の科学』解説 第3回 23.3.5 吉丸慶雪 1.合気之術の全面的認識 「合気」を体得するには「合気とは何か」という認識が必要であり、そのため以下のように「合気」を定義しました。 『合気道の奥義』→合気とは弛緩力を使う力抜きの技術である。 『合気道極意の秘密』→合気とは弛緩力を使って気を合わせることである。 ところが平成21年になって分かったことは、上記の定義は合気之術の一面に過ぎず、他の一面である「勝負の合気」が存在していたことです。これは佐川幸義先生は分かっていて、空間の崩し、合気の制位と名付けていますが、これらを一括して「合気」を認識するために混乱しているのです。 佐川幸義先生の分類
吉丸慶雪の分類
合気之術には二つの技術があります。 合気之術の一つは、漢代に成立した荘子の説剣篇、あるいは孫子の兵法「迂直の計」に基づいた剣術の必勝法であり、日本には持統天皇の朝に伝来し、あとに源氏の武術として伝承されたものです。日本ではこれを「 先」として認識されているものです。 合気之術の二つは、柔術技での応用です。武田惣角先生は、西郷ョ母に習った大東流柔術に剣術の奥義を使って新しい柔術を創始しました。これが大東流合気柔術てす。つまり大東流合気柔術は新しい武術ですが、合気之術は古来の武術である、ということになります。我々は、合気之術を全面的に認識することにより、始めて合気(之術)の体得が可能になります。 【合気之術の全面的な認識】 1.合気之術の目的 = 気を制御すること 2.合気之術の理論 = 気を合わせ、合気を外すこと 3.合気之術の実際 合気之術→→→→→ 1.力抜きの合気、柔術技の無力化、接触した体の無力化 ↓↓ →→→→ 2.勝負の合気、剣術技の無力化、非接触した体の無力化 4.合気之術の実際は伸筋制御運動によります。 伸筋には(当たり前ですが)合気とか発勁などの働きはありません。ただ伸筋制御により合気とか発勁を使うことができます。伸筋制御によりゴルフが巧くなるのと同じです。 2.『合気之術の科学』の概要 23.3.5 吉丸慶雪 合気之術には勝負の合気と力抜きの合気があります。しかし今までは、「力抜きの合気」が即「合気」であると考えてきました。 拙書『合気道の奥義』2001年も、第2部マイナスの力で、伸筋制御運動で力抜きができる、伸筋制御運動で「体之合気」ができるという趣旨で書いてきました。 しかし体之合気ができても、勝負には関係が無いという疑問がありました。たとえば手首を掴めと指定して、見事に投げたとしても、自由に攻撃したときには、役に立たないのではないか? ところが2009年になって、始めて合気の真相が分かったのです。これが昭和39年5月13日の日記に、佐川先生が真剣白刃捕について重大な話を語ったのです。 1.合気を掛けるとはなにか。 2.合気を掛ける方法とは。 そして分かったことは、合気之術は、きわめて実用的な技術であるということでした。 武田惣角先生も佐川幸義先生も、力抜きの合気だけを教えてきましたが、実は実用になる勝負の合気を隠していたのです。何故かというと、力抜きの合気では、十年習っても二十年習っても殆どの人は巧くなりませんが、勝負の合気を教えると、ある程度の訓練で強くなるのです。だから勝負の合気は、徹底的に隠してきたのです。 武術の必勝の理は、古代から現在まで一貫して同じです。そして必勝の理が、即ち合気之術である、ということが分かったのです。そして必勝の理を使って、大東流合気柔術が創案されたのです。 武術の必勝の理は、漢代に成立した荘子の説剣篇にあり、この理は、後之以発、先之以至です。戦争の場合の必勝の理は、孫子の兵法「迂直の計」にありますが、この理は同じく、後人発、先人至です。武禹襄の『太極拳解』にも「彼不動 己不動 彼微動 己先動」と同じことを言っています。 ところが2010年2月4日に、時事通信社が、3日付の英紙「タイムズ」に「先に銃を抜くのは不利=荒野の決闘、科学実験が証明−英」と報じました。 先に銃を抜くのは不利=荒野の決闘、科学実験が証明−英 時事通信社 2010年2月4日 【ロンドン時事】 荒野の決闘で、ジョン・ウェインやクリント・イーストウッド扮する「正義のガンマン」が、先に銃に手を掛けた悪漢を電光石火の早業で撃ち倒すシーンは西部劇でおなじみだが、先に手を抜こうとするのは不利になることが、英研究チームの行った人間の反応速度に関する実験で分かった。3日付の英紙「タイムズ」などが報じた。「決闘」のシミュレーション実験を行ったのは、英バーミンガム大学のアンドルー・ウェルチマン博士のチーム。拳銃を相手より先に抜こうとする意識的な行動よりも、相手の行動を見て本能的に反応する方が速いことが判明した。 実験には54人が参加。拳銃の代わりに押しボタンを使い、相手より速くボタンを押そうとする時間を計測した。自らの意志で最初にボタンを押す場合と、相手の手の動きに反応して押す場合の時間を計ったところ、後者のほうが平均0.02秒速かったという。同博士は「意識的に行動する場合と本能的に外部の動きに反応する場合の二つの速度を計測したのは初めて」としている。引用。国際時事通信社 つまり「拳銃を相手より抜こうとする意識的な行動よりも、相手の行動を見て本能的に反応する方が速いことが判明した」「後者の場合のほうが平均0.02秒速かった」のです。 つまり、英紙「タイムズ」に報じたのは、後人発、先人至を科学的に証明したわけです。 かつて、北京人民大学教授である李徳印老師の講演が日中太極拳交流協会で行われたとき、その中で興味深い話がありました。曰く、「中国政府の近年の調査によれば、中国には260種類の拳法があり、それぞれの特徴は大きく異なっている。例えばある拳法では手技の速さが特徴であり、ある拳法では脚技の速さ、ある拳法では敏速な体の動きが極意である。その中で太極拳は『敵の攻撃を待つタイプの武術』という特徴がある。そうした武術は260種類の中でもきわめて少数である。」1996年11月。 「敵の攻撃を待つタイプの武術」とは何かというと、「後之以発、先之以至」の武術です。では日本の武術に「後之以発、先之以至」があるかというと、日本の武術は全て「後之以発、先之以至」です。つまり中国拳法では「後之以発、先之以至」はきわめて少数であるが、これに対して日本の武術は、殆どが「後之以発、先之以至」を極意としています。これを「先」とかあるいは「三つの先」と云っています。 武術の戦い方としては自分から攻撃を仕掛けていくものと、相手の攻撃を待つタイプがあります。世界的には自分から攻撃を仕掛けていくものが主体ですが、日本剣道の場合は殆ど「相手の攻撃を待つ」タイプであり、そのため影流、新蔭流、など多くが「影の流れ」を名乗っていて、陽流を名乗る流派はないことにも現われています。影は陰陽の陰です。つまり攻撃を主体ものが陽の剣(正流)であり、攻撃を待つのが影の剣になります。 かつて佐川幸義先生から、「小野派一刀流の極意は後の先である」習いましたが、この「後の先」が即ち後之以発、先之以至です。 尾張天真古流拳法の伝承によれば、大伴古麻呂は副使船にて鑑真和上ら8人を伴い帰国(753)したが、鑑真の弟子思託鑑禎と云う僧が日本人僧に拳杖術を教えました。その後思託は鞍馬寺を創建し、平安時代には武力集団として有名となりました。その武術は僧兵から武士へと伝わり、鞍馬山拳法、陰陽流、判官義経流、鞍馬揚心流などが成立したという研究もあります。 しかし、思託が教えた時より約90年前に、天皇家は唐式武術を正式に輸入したのです。日本に唐式武術が伝わったのは、持統天皇のときです。『日本書記』によれば、持統天皇3年(689)11月8日の条に、高田石成は3種類の武器(弓、刀、槍)に習熟されたことにより褒賞されています。ウィキペディアには、特定個人の褒賞は記事は珍しいと書いています。なぜ国史(日本書記)に個人の褒賞を特筆しているかというと、これは、唐式武術の養成は、国家事業であったのです。 663年8月に、倭国(九州)は白村江の戦いで敗戦して、後営の位置に居た近畿天皇家は唐国と和解しました。671年に唐国の使者である郭務ソウなどが約六百人(総合二千人)来ているが、そのとき武器庫にしたのが多武峰、つまり唐(トウ)の峰でした。現在は多武峰談山神社であり、祭神は藤原鎌足公であるが、藤原鎌足公と郭務ソウとの関係には謎が多く分かりません。ただ郭務ソウがきてから8年、つまり8年掛けて唐式武術の軍隊を養成し、そして唐式武術の達人が出来たのです。だから8年の間、唐式の武術を習っているので、当然荘子、孫子、六韜を読んでいます。 説剣編 第三十 荘子曰、夫為剣者、示之以虚、開之以利、後之以発、先之以至、(略) 荘子曰わく、夫れ剣を為むる者は、これに示すに虚を以てし、これを開くに利を以てし、これに後れて以て発し、これに先んじて以て至る。 後之以発、先之以至 では、この後之以発、先之以至と合気之術となぜ関係があるかというと、後之以発、先之以至することが「合気を掛けること」になるのです。 合気之術には二つの方法があります。 一は力抜きの方法で、気を合わせ(=合気)、合気を外すこと。 二つには合気を掛けることであり、この方法は後之以発、先之以至です。 つまり力抜きの合気と勝負之合気の二つの方法になるのです。 【1】力抜きの合気の要点 気を合わせることとは、相手の力と自分の伸筋を大きさを合わせることであり、合気を外すこととは自分の伸筋を減らすことです。つまり合気を外すには伸筋制御運動が必要になります。 【2】勝負の合気の要点 相手の先手に対して機先で出ることです。これを「合気を掛ける」と云います。つまり後之以発、先之以至です。後之以発、先之以至により相手の力は無力化されます。これが佐川先生の云う合気の制位です。 なぜに日本武術は影の剣になったかというと、日本刀の特質によります。公家は諸刃の剣であり、武家は片刃のカタナです。これには日本列島には鉄石が無いと言う事実と、庶人には利刀を禁じた歴史があり、武士は日本刀になったのです。そのため日本刀の欠点をカバーして、特別な技法つまり「先」を発達したのです。 つまり合気之術は,きわめて日本的な武術なのです。 |
合気之術の科学解説 第二回 50年掛けて、結局私が分かったことは、完全に力抜きを体得していないと、技は掛からないということです。たとえば「上げ手」でも、完全に力抜きができないと、上げることはできません。たとえば、素人では上げることができるが、初段の人は上げることができない、などはありません。本当に頑張ると素人でも上げることはできません。 結局、達人クラスになって始めて上げることができるのです。つまり達人か達人でないか、ということです。だから道場の先輩後輩の関係で出来ることができるのですが、真剣に頑張ると、絶対に上げることはできません。結局、力の技になってしまうのです。 では完全な力抜きを習うことが出来るかというと、力抜きを習うことは殆どできません。この理由は以下の通りです。
つまり、ゴルフのプロでも、技の神髄は教えません。まして命を賭けた武術において、技の神髄など教えるわけはありません。だから技の神髄は、師から盗むのです。 しかし時代が変わりました。情報時代である現在、秘伝も隠している意味はありません。多くの人に役に立つ武術を習って貰いたいと思います。 実は、力抜きの秘伝は、塩田剛三先生の『合気道修行』の中に書いています。 極意は力を抜くこと!
「こちらがしゃがめば相手もしゃがむし、こちらが手を動かせば、相手はそれについて来ます」というのが「真の体之合気」です。ではまず、気を合わせることについて解説します。 解説 力抜きの原理は、「気を合わせ、合気を外すこと」です。 では気を合わせるとは何かというと、以下のとうりです。
「気が合う」というのは自然に気が合うことであり、「気を合わせる」というのは積極的に気を合わせることですが、何れも「合気」です。つまり「気が合う」のも合気、「気を合わせる」のも合気です。 そのように「気を合わせる」、つまり合気は別に武術の技とは関係はありません。 気を合わせる=合気 感じ方や考え方が似通って親しみがもてるのが合気、お互いに好意を持っているのが合気です。そのようにプラスな合気もありますが、マイナスな合気もあります。 たとえば、電車の中で靴を踏んで来て、口喧嘩になった場合は合気の状態になります。殴り合いになった場合は、強い合気の状態です。 手を出して握手したときも合気の状態です。手を掴んで引いてきたとき、これに抵抗するのは合気の状態です。胸倉を掴んできたとき、これを抵抗するもの合気の状態です。強く胸倉を掴んできたとき、頑張るのは強い合気の状態です。 相手が軽くつかんできたとき、自分が強く力を入れるとこれは合気の状態ではありません。相手が強くつかんできたとき、自分は力を抜くと合気ではなくなってしまいます。 以上のように「気を合う」あるいは「気を合わせる」ということを、まず理解することが大事です。 少し稽古すると、誰にでも合気の状態になることができます。 では、気を合わせると、武術では役に立つかというと、これだけでは役に立ちません。 必要なのは 気を合わせ(=合気)−合気を外す事 であり、これで始めて力抜きができることになります。 23.2.3 続く |
合気之術の科学解説 第一回 合気は、実戦には役に立たない!
小手之合気も体之合気も、実戦には役に立たない。
いくら巧みな技であっても、顔面を突け、胸を掴め、手首を掴めと指定する以上、実戦には役に立たない。(ただしそうした稽古は必要) なぜかというと、勝負の合気を知らない場合は、「力抜き」が出来ても相手に勝つことは出来ないのである。そして勝負の合気は、絶対に習うことが出来なかったのである。 これが 武田惣角先生の秘密 であった。 では「力抜きの合気」とは何かというと、 気を合わせ、合気を外すこと
である。 では「勝負の合気」とは、これも 気を合わせ、合気を外すこと
である。 ただしこれは理論であり、その方法は 合気を掛けること
である。 具体的には、合気を掛けるとは、○○○○○ことである。 武術の必勝法は、古代から現代まで、一貫して
合気を合わせ、合気を外すこと
である。 つまり荘子の説剣篇、あるいは孫子の迂直の計も「合気を合わせ、合気を外すこと」であった。 武術の必勝法は、荘子の説剣篇・孫子の迂直の計
この荘子の説剣篇あるいは孫子の迂直の計を、具体的に述べたのが宮本武藏の五輪書であり、これを実行したのが武田惣角先生の剣であった。
惣角先生の言葉は、 「出よ」 である。 つまり、 後○○○、先○○○ である。 これがすべて合気之術であった。 平成23年1月8日 吉丸慶雪 |
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合気之術の科学 ◎目次 第1部 勝負の合気 第1章 合気を外す 第1節 相手の心を読む 第2節 気とはなにか 第3節 宇宙の気「正気」 第4節 神域にて荘厳な気と共鳴する 第5節 合気は気を合わせること 第6節 文献の合気 第7節 気と気が合う 第8節 なぜ気が合うのか 第9節 マイナスな合気もある 第10節 宮本武蔵の合気 第11節 合気を外す 第2章 剣術名人位 第1節 早業 第2節 惣角の剣 第3節 音無の剣 第4節 中村一刀斉 第5節 真剣白刃捕り 第6節 ○○と出る 第7節「今武藏」國井善也 第3章 必勝の理 第1節 攻撃と防禦 第2節 懸待一致 第3節 迂直の計 第4節 荒野の決闘 第5節 先手と機先 第6節 合気をかける 第7節 武田惣角先生「出よ」 第8節 「先」の体得 第9節 前ぶれ 第10節 合気之術 第11章 錬気養心の事 第12節 変性意識 第13節 合気武術の入戦法 第2部 「力抜きの合気」 第1章 力抜きの理 第1節 抵抗力 第2節 力抜きの原理 第3節 空間の崩し 第4節 空間の力抜きの実際 第5節 小手之合気 第6節 小手之合気の方法 第7節 体之合気と真之合気 第8節 伸筋制御 第2章 手解きと振り解き 第1節 実戦必勝歌 第2節 貫く力と合気 第3節 佐川先生の手解き 第4節 とぼその教え 第5節 武芸の歩き方 第6節 体捌きの本質 第7節 大東流奥義「うねり」 第8節 ?勁の転換 第3章 小手之合気演習 1−01 小手の合気の呼吸法 2−01 小手の合気演習1〜30本 第4章 体之合気演習 1.体之合気演習1〜25本 第5章 護身技合気無想拳 1.「うねり」1〜12本 2.「つかみ手」1〜12本 3.「○○」1〜12本 第3部 護身技再提唱 第1章 日本刀と○○ 第1節 合気拳法無想拳の意義 第2節 荘子 説剣編 第3節 正流と蔭流 第4節 南蛮賊の寇(刀伊の入寇) 第5節 剣と盾 第6節 ツルギとカタナ 第7節 「三つの先」と○○ 第8節 日本刀の技術 第2章 参考資料 資料1 日本要録 資料2 徳川幕府創業 資料3 36人切り 資料4 抜刀隊 資料5 実際の日本刀 資料6 幻の日本刀 |
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はじめに 2005年『合気道 極意の秘密』(ベースポール・マガジン社・刊)において、「合気とは何か」という疑問に対しては「気を合わせること」とし、これにより「体之合気」を実現することができた。しかし健康上の問題で最後の著書とした。その後病気が悪化2008年正月には危篤状態となりも辛くも生還、6ヶ月のベッド生活のあとに退院、その後療養生活になったが「合気とは何か」という疑問が解けたのである。 力抜きは「気を合わせ、合気を外すこと」であり、「合気を掛ける」とは「○○○○○こと」である。 本書は「合気とは何か」という疑問を解くものである。そして一番大事なことは「勝負の合気」であり、「力抜きの合気」は従属的なものであった。 「勝負の合気」こそ武田惣角先生の秘密であった。 これは重大である。一般的に「力抜きの合気」を会得する目的としているが、実戦的には役に立たないのである。是非これを考えて貰いたい。 本書の特徴は「合気の会得」である。理論は省き演習を載せた。小手之合気、体之合気、うねり、つかみ手、○○を演習することにより合気を体得できるように企図したものである。 一つに『合気道の奥義』に「護身技心技護身拳」を提唱したが、合気之術の理論に基づき「護身技合気無想拳」を再提唱する。これは心技護身拳の改良形である。格闘技をベースとする護身術は、体技の才能の無い人には役に立たない。しかし合気無想拳は心技なので、誰にでも体得できる。なお『合気道 極意の秘密』は、本書の一部に過ぎないため、絶版とすることにした。 『合気道の科学』から本書『合気之術の科学』に至る合気の研究には、ベースポール・マガジン社の御理解がなければ世に出ることはできなかった。ここに深く感謝するものである。 2011年3月吉日 80歳 吉丸貞雄(慶雪) |
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第1部 勝負の合気 第1章 合気を外す 第1節 相手の心を読む 人間には古来から、人を思い通りに動かしたいという願望があった。そのため人を思いのままに操縦する方法を求め続いてきた。 その一つは兵法であり、そして一つは合気之術である。 戦争でも個人の争いでも、まず相手の心を読みたいという切望がある。 国と国との外交でも、相手の本心を読みたいと思っている。 合気之術は、相手の心を読み、そして相手を操りたいとして考案されたものである。しかしそれは完成されたものではないと言える。 父の蔵書に立川文庫『宮本武藏』明治44年発行があった。その中に次の文章がある。 「、、、、正当の矢ならば何千射られるとも受け損じる拙者(せっしゃ)ではござらぬ。しかるに卑怯にも合気の法をもって某(なにがし)の自由をとどめ、その上にて矢を向けられるは死物を射るも同然の仕儀、、、」(この合気の法は合気遠当ての術ともいう)引用拙著『合気道の科学』 そのように合気の法は夢であった。同じく父の蔵書に『秘密宝鑑 全』健斎居士、大正6年12月発行があった。これは青少年のための文庫並の本で、たとえば柔道護身術とか催眠術などがあり、その中に気合いで倒す合気之術がある。 これに対して、武田惣角の合気とは関係がないと私は考えていたが、実はこれらと関係があることが分かった。したがって拙書『合気道の科学』の記述は間違いであった。 「巷間、各種文献に「合気」の語を求め、はなはだしいのは中国の文献に合気の語を発見してこれらと関連づけて解釈しようとする試みもあるが、もし大東流の合気が武田惣角の創作であるならば、それらの試みは徒労に終わるであろう。」これは間違いである。 「合気遠当ての術」とか「気合い術」はある条件があれば確かにできる。 では武術としての合気之術とはどんなものであるかを考えてみる。 理論としては、合気之術は、まず相手の心を読み、次に相手の体をコントロールする。相手の心(気)をコントロールするには、まず自分の心(気)を制御する必要がある。 1.合気之術の目的は、相手の気(心身)をコントロールすることである。 2.そのためには己の気(心身)をコントロールする技術が必要である。 しかしこれは「合気遠当ての術」も同じである。では武術の合気之術の特徴はというと、これが「合気を掛けること」である。 3.武術では合気を掛けること。 今、「合気を掛けること」についての私の記述は間違っていたと述べた。というよりそこから書き出して本書では、大東流合気柔術の世界の常識を破る新説を今から述べようとするものである。 新説 「合気を掛けること」 これを理解するには、「気」とはなにかを認識する必要がある。 では気とはなにかを考えてみる。 第2節 気とはなにか |
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第1部 勝負の合気 第1章の要点 【気】 1.人間は雰囲気として気を感じている。 2.人間は宇宙森羅万象に気があると感じている。 【合気】 1.自然に気と気は合うという性質がある。これは合気である。 類は友を呼ぶ 類を以て集まる 朱に交われば赤くなる 2.能動的に気を合わせることができる。これも合気である。 hug 合気 同調 共鳴 祈り 瞑想 観想 3.宮本武蔵の「移らかすという事」これも能動的な合気である。 【合気を外すこと】 1.社会的雑音とか人為的雑音から合気を外す。 第2章の要点 1.武田惣角先生の早業、音無の剣・高柳又四郎の剣、不二浅間流中村一心斉の剣、「今武藏」國井善也先生の剣は合気之術である。 2.昭和39年5月13日、佐川幸義先生のお話は、以下の通りであった。 @.合気を掛けるとはなにか。 A.合気を掛ける方法とは。 B.合気(の柔術)は武田惣角先生の創案である。 3.新説「合気を掛けること」 ○○○○○ことが合気を掛けることである。 第3章の要点 1.○○も○○○も「○○と出る」をすべて同じ。 2.無念無想は前ぶれに対する条件反射である。 3.「合気をかける」とは、○○○○○○ことである。 |
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第2部 力抜きの合気 第1章 力抜きの理 第2章 手解きと振り解き 第3章 小手之合気の演習 1.小手之合気の基本形 6本 2.小手之合気の演習 30本 第4章 体之合気の演習 1.体之合気の演習 25本 第5章 合気無想拳演習 1.「うねり」演習 12本 2.「つかみ手」演習 12本 3.「○○」演習 12本 |
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第3部 護身技再提唱 第1章 日本刀と○○ 第2章 参考資料 |
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【解説】 合気には「力抜きの合気」と「勝負の合気」があります。 しかし一般には、合気とは「力抜き」を思っています。ですから「力抜き」を説明します。私はいわゆる伸筋理論、つまり「伸筋制御運動」により「力抜きの合気」は出来るのですが、分からないという人が多いので、端的に言うと、相手の力を抜くには、相手の力を抜くのではなく、自分の力を抜くということです。つまり自分の力を抜くと、相手の力が無くなる。 これは秘伝なので、理解できないように説明をしているのですが、実際は簡単なことで、「自分の力を抜く」ということです。 『合気之術の科学』では、「力抜きの合気」および「勝負の合気」を、演習により理解できるように企画しました。合気道・合気柔術の実戦のために、ぜひ「勝負の合気」を会得してください。 |
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本書のモデルの護身技研究会メンバー 内田智春 大東流7段 市川公洋 大東流6段 小林太郎 大東流5段 北原立朗 大東流5段 三木正彦 大東流5段 堤 信夫 大東流4段 飯塚大貴 空手道2段、大東流2段 護身技研究会の顧問 日本兵法大和道 佐藤柔心斎宗家 日本武道傳骨法会 堀辺正史創始師範 日本健康太極拳協会 楊 進会長 自然身法研究会 出口衆太郎代表 剛柔流空手道泉武会 泉川勝也宗家 日本武術太極拳連盟 大塚忠彦理事長 渋谷区太極拳連盟 立石朝士代表 合気錬体会 有満庄司総師範 |
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あとがき 縁というものは不思議なもので、沖縄伝剛柔流空手道泉川寛喜先生の入門したことから合気之術の解明になった。たまたま国分寺に赴任した時、旧師佐川幸義先生に逢い、16年間の指導を頂いたが、感ずることがあり辞去し、現日本武道伝骨法堀辺正史師範に論理学を整体を習った。これが合気之術を解明するための武器になった。 泉武館の同門大塚忠彦現東京都武術太極拳連盟理事長に日中太極拳交流協会を紹介され、以後日中太極拳交流協会に属し、後十数年中国の一流太極拳の老師の講習に参加、とくに陳式太極拳馮志強老師、陳式太極拳丁金友老師に習った。後に日本兵法大和道佐藤金兵衛宗家に、山本派大東流合気柔術の奥義技を習い、大東流合気柔術秘伝奥義の免許を得た。これは全て縁であり、この輪が一つでも欠けていれば合気之術を解明することは出来なかった。 またこれも不思議な縁であるが、西郷派大東流合気柔術曽川和翁宗家がビデオに出演したのを、昭和39年5月13日の夜に佐川先生と話し合ったことである。この話には重大な意味があった。つまり「合気を掛けるとはなにか」そして「合気を掛ける方法とは」を、佐川先生が話していたのである。 古来伝える武術の必勝法は荘子の説剣篇であるが、これが「気を合わせ、合気を外すこと」である。これは理論であり、方法は「後○○○、先○○○」である。つまり説剣篇も武田惣角先生の大東流合気柔術も、方法は「後○○○、先○○○」であった。 さて私は、佐川先生の話で「出る勘は天性のものらしく」という言葉を感じ、以来誰にでも出る勘を養成する方法について考え、護身技の発想を得た。格闘技は才能や素質を必要とするが、護身技では心技なので誰にでもできる。護身技は日本武術の特徴と考えている。ぜひ護身技を体得して貰いたい。 今生の縁を深謝したい。 平成23年3月吉日 吉丸貞雄(慶雪) |